五月 二日、金曜日の話
結局のところ、社会的地位を求めているのだろうか

 朝、携帯に届いたメールを見て思ったのは、そういうこと。

[◆]夢を追いかける理由

「会社にいれば社会的に保護されるが人間的に抹殺される。家にいれば人間として生きることが出来るが社会的に抹殺される。あー何やってんだろうね、俺。あほはあほでしかないって事を実感するよ」

 と言うことを親友のイチノイカズイ殿にメールで送った。そして貰った返信が、

「その両方を手に入れるために夢を追いかけるんだろう?」

 だった。寝起きの頭に起きたのは驚きで、これに対する返答をどうするべきかすぐには出てこなかった。これは考察を多大にしなければ回答を出すことができないものだった。

 そもそも、僕の夢である世界群歩行者達の設立は、社会的価値なんていうものはまったく不必要であると考えている。組織として設立するからにはもちろん上下関係が発生し、僕は最初に組織を作り出した人間として組織の頂点に立ちたいというのはある。しかし、それは単一の組織の中での話であり、社会的と言えるかどうかは考えたこともなかった。第一次産業、第二次産業、第三次産業、公務を一つの組織の中ですべて併せ持つ、新社会の創造こそが世界群歩行者達の目的であるが……、そこに社会的であるかどうかっていうのはあるんだろうかね。似たような価値観を持っている人間しかいない場所で、社会的立場と言うのは発生しうるのだろうか。

 社会的立場と言うのは、違う価値観を持つ人間に命令を出すための手段である、と考えている。社会的立場を利用して、ばらっばらな考え方をする人間達を纏め上げるわけだ。そこにはひとかどの敬意と言うものが社会上、存在する。敬意欲しさに上を目指す人もいる。社会的立場が向上すれば収入も増えるから、それ目当ての人もいる。

 しかし、世界群歩行者達の場合はどうなのだろう。社会的立場の話は気味が悪いとしか感じられない。そんな社会から与えられた立場にすがるよりも、個々人の人徳によって動いていくべきだと考えているからかもしれない。自然と人が集まる人こそが頂点に立つ。それを理想としているからかもしれない。

 ゆえに、人間として生きることと社会的立場を手に入れること両方を手に入れたいんだろう? と言われても「どっちか一方にしてくれ」という感じになる。そして、社会的立場なんかに用はない、はずだ。このはっきりと言い切れない部分があることが、返答できない理由だ。本当に世界群歩行者達は社会的立場に依らない生き方ができるのだろうか。

 人間として生きることが世界群歩行者達の理想。社会的束縛なんか糞食らえだ。だが、いくら拒絶したところで世界群歩行者達の周りには確たる社会が存在し、無視することはできない。自らを守るために連中と同じ土俵に上がらなくてはならないこともあるだろう。その場合は、やはり社会的立場と言うものが必要になるのではないだろうか。社会を黙らせるための社会的立場と言うものが。

 僕の願いとしては、社会的立場なんて要らない。でも、世界群歩行者達を護るためには社会的立場が必要。夢を追いかけるだけでは駄目で、さらに突っ走って夢を追い越し、夢を護らなければならない。イチノイカズイ殿にそこまでの意図があったかどうかは不明だが、今後の考察には多大な影響を出しそうだ。

 やっぱ、すごい人間だよ。イチノイカズイ殿は! 最高!


 一つ付け加えるならば。もしも世界群歩行者達が社会的立場を得なければならない場合、世界群歩行者達の参加者全員が同等の社会的立場を持つことが望ましい。世界群歩行者達の外の社会において、世界群歩行者達の参加者それぞれにばらつきが出る事は避けたい。そのためにはあらゆる情報を全員が共有することが不可欠になるだろう。組織内ニュースは必要だなぁ。

[◆]「やまぎし」という団体があるらしい

 岐阜のほうに「やまぎし」という団体があるらしい。親から聞いた限りの情報では、構想そのものは世界群歩行者達によく似ているようだ。つまり、独自に食料調達し、資金調達し、社会とはあまり関わらずに生きている人たちがいるらしい。

 詳しくは調べていないのだが、生活態度は似ているが、根本的に違うところがある。それは集団内での子供の育て方の違い。「やまぎし」では、内部で生まれた子供はすぐに団体から外れたところで育てられることになるという。つまり、新しく生まれた子供は団体に所属する人間ではない、という見方をするわけだ。団体として統一するためにはある意味で正しいかもしれない。

 この点、世界群歩行者達は子供を親から離すなんて事は組織としては絶対にしない。それは組織の基本単位が家族だからで、子供を育てるに当たって子供が親の姿を見続けることがとても大切だと考えるからだ。子供は宝であり、親子の仲を裂く事は世界群歩行者達では禁忌である。いやま、家族内で親子の仲が悪くなることについてまで面倒見る気はないけど。親なら子供との仲ぐらい自分で何とかしろ。相談には乗る。

 これがいつしか問題となり、世界群歩行者達が崩壊することになったとしてもそれはそれでいいと思う。理想を追い求められる形ではなかったのだろう。まあ、それでもまだ望みがあるなら、再建するだろうなぁ。

 まだ、出来上がってもいないけれども。

[◆]それって仕様書を書けってことじゃ……

 現在の僕の仕事は一三年前に作られた古いプログラムを新しい言語で書き直すことである。基本的には古いプログラムに基づいた仕様書が作成され、その仕様書に乗っ取ってプログラムを作成することになる。が、たまに仕様書が不完全なことがあり、その場合は古いプログラムを直接見て新しいプログラムに移すこととなる。

 そして本日も仕様書が不完全で古いプログラムを見ながらプログラム作り。なのであるが、うまいこと進まない。もとより古いプログラムは現在のプログラムとは環境が違うため、非常に分かりにくい書き方がされている。ロジックを見ても何をしているのか分かりにくい。変数名の分かりにくさ然り、書き方の回りくどさ然りだ。

 で、どうにも仕様書を書いた本人もよく分かっていない部分がある、というか、忙しくてぜんぜん首が回らないようだ。なんとか古いプログラムを見てプログラムを作ってみるものの、それが正しい動きであると確証を持つことはできない。また、うまい説明もできない。

 ゆえに監督者がプログラムの動きに納得せず、突き返される。んでもって、「旧プログラムを読んでどういう動きをしているのか紙に書き起こせ」と言われた。……それって、ほとんど仕様書を書けって言ってるのと同じじゃねぇ? 先に作られた仕様書はどうなるんだよ。二度手間か? ……まあ、不完全であるのだからもはや二度手間も糞もないんだけれども。

 なーんかすっきりしてないな。無駄な作業が増えている気がするが……大丈夫なんだろうかね、こんなので。

 で、監督者が上司としゃべりこんでいる間にプログラムの修正をしたら怒られた。「あなたにやれといったのは旧プログラムを調べるところまで。調べたからって修正するんじゃない。それを判断するのはこちらだ」なんだって。おいおい、調べ終わったあと、僕は何してりゃーいいんだよ。この一日、旧プログラムを調べることしかしてねーじゃん。

 これが組織で仕事するってことなのか……。どれだけ融通が利きにくいんだか。こんなところにいるの嫌だなぁ。