四月二二日、火曜日の話
リンクページ更新中

 昨日はリンクページ更新で大変だった。

[◆]外部リンクページ更新中

 昨日はやることなくなったので早めに会社を出て家に帰り、今日も今日とて自分のウェブサイトの更新である。少しでも進まねばこの先、僕がのんびりできる事はない。最新化なんて時間が経過すればまた新しいものができてキリがないだろうけれども、効率化して置いて損がない事は確かである。

 昨日、外部リンクについては行程が半分ほど済んだ。が、やってみて新たに考え実施しなければならない部分も出てきたので、明日までは掛かりそうだ。

 ……実際には、本日中に何とか更新しきった。次はサイト案内かー。案内人の二人にも登場してほしいところだ。

[◆]慣れで済む様な問題でもない気がしてきた

「どう説明したら君にわかってもらえるのかなぁ……」とは僕のプログラム監督者のうめき声であるが、ご愁傷様ですとしか言いようがない。困ったことに僕自身には自覚はないのだが、プログラムの仕様云々に関して上の人が説明したことを、僕がことごとく記憶できていないらしい。僕にしてみれば本当に説明されたのかも確信がないので「もう一度説明をお願いします」しか選択肢がないのだが、それが監督者の心労をことごとく増やしまくっているようだ。

 大抵の場合、こういうのが起こりうるのは一日の仕事が終わって家に帰る状況が生まれたとき。つまり、仕事を日を越えて持ち越したときだ。会社を出た段階で仕事のことなんかきれいさっぱり忘れてしまう。仕事の内容はそこそこどうでもいいことに分類されているらしい。

 また、監督者の説明自体も分かりにくい部分が多い。それはプログラムの仕様が難しいと言うのではなく、僕には今のところ説明された範囲でしか分からない各所にあるデータのつながりを分かりにくい日本語を利用して説明されるため、質問のしようもないというもの。僕の理解力が不足していると言うのであるのは僕にはどうしようもない。うまれつきです。つーか、監督者自身も把握しきってないものを僕が把握できるものなのかね?

 これに関しては、今の会社にいる人たちが数年前のおそらくは起きたのだろうリストラを乗り越えた選抜隊かつ、彼らと僕との間に世代的格差があることが問題となっているのだろう。緩衝材になってくれる世代が空っぽだ。意思疎通は緩衝材なしに行われ、結果としてうまく意思疎通が出来ない。僕が慣れるまでの間に向こうの誰かが切れそうだ。会社やめさせられるかなー、そうなるといいなー。

 本当、何でこんなところにいるんだろうなー。

 それはさておき、監督者がプログラムのつながりを把握していないって言うのはどーなんだろう。現状、いじっているプログラムは十年ほど過去に作られたものであり、確かに現在の監督者では細部まで分かりにくい部分があると思われる。が、着々と仕様書作ってんだから、仕様書ができている範囲においては把握していてもよさそうなものだ。うーん。僕自身が全体像を把握していないのが悪いのか……。僕も自分が触る範囲の仕様書しか見てないからなぁ。仕様書程度なら、全部読むのにそんなに掛からないはずだ。

 ただ、おおっぴらに読むと「仕事をしろ」と仕事をしているにもかかわらず言われそうなので、担当者とかが帰ったあとじゃないと読めないのがなんとも。基本姿勢、「自分の担当以外の部分には手を出すな」だからなー。閉鎖的過ぎて困る。

 なんとかなるかなー。

[◆]盛り上がってまいりました

 監督者がマジで切れそうだ。僕自身が監督者の言いつけをすっぱり忘れて帰り支度を始めたせいである。いや、正確には僕自身が監督者の言いつけの意図を100%理解してなかったところが問題となったのか。簡単に言えば、「このプログラムのここの部分について担当している人に聞いて、プログラムが完成したら報告しろ」という言いつけに対し、そのプログラムは本日中には必要な資料がどうしても手に入らないためにプログラムそのものはできたけれども動作確認ができていないので完成と判断せず、保留にしたために報告しなかった。結果、報告を待っていたらしい監督者が怒った、らしい。

 たいていの場合、報告といったらプログラムが動作チェックを終えて完成した後である。無論、保留にしなければならない場合はその旨を伝える。大体は完成してから報告しろと言われる。今回は保留の件はすでに報告済みであった。さて。

 ここでの問題を起こしたひずみとは、報告のタイミングについてである。おそらく、僕が「完成したあとに報告しろと言われました」と言えば監督者の怒りだけが度を増すに違いない。いつでも上の人が正義である。僕自身も断言できるほど強く記憶にとどめているわけではないし、証拠ももちろん、ない。仕方なしに「忘れてました」と答えるのが早期処理の方策であるが、どうやらすっぱり言い過ぎたらしい。

 ついでに、もうサービス残業時間に突入しているとはいえ、本日、最初に帰ろうしたのが僕である。その時間帯、早い人はもう帰っている頃合であったが、今日はなぜか誰も帰ってなかった。だからといって仕事をする気もなかったので帰ることにしたのであるが。頭は六時を過ぎたころにカチコチに固まって動かなくなったし、家に帰ってサイト更新もしたい。はやいとこサイト更新を終わらせてプログラムサイトを作りたいわけだよ。と、いうわけで社内の僕に対する評価は間違いなく差っぴかれたであろう。別にかまわん。

 今週末に社内全体会議があるが、「最近、君の態度が悪い」と社長に言われそうである。表面上はなんと答えるかまだ考えてないが、何を言われようが心の中ではまったく修正を加える気はない。なぜならば、そうした姿こそが僕だからだ。これについては後述する。

 企業とは本当に単なる場つなぎだなー。早く何とかしたい。

[◆]ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

県職員が買春、少女のためにアパートも…
少女が告白「抱きながら説教」
※上記ニュースは同一事件のものです。

 こういうニュースを見ると反吐が出る。その後、感じるのは子供たちに対する「ごめんなさい」という言葉の羅列。最近じゃ売春買春なんて珍しいものでもなんでもなくなってしまっている。けれども、一般的なわけじゃない。子供たちは大人によって傷付けられることが蔓延化してしまっている。

 心無い大人、と言えば片付くのかもしれない。けれども、事態に対して何もしない大人も同罪であり、今日の社会を作った大人としてこれ以上に情けないものはない。売るほうも悪い。買うほうも悪い。だからと言って、おざなりにしていいわけじゃない。どうして子供を傷つけるような大人が出てしまうのだろう? そして、どうして子供たちは傷つけられなくてはならないのだろう?

 なぜ、子供たちは売春をするのか? お金がない? 遊び足りない? かっこ付け? 周りにそういう人がいたわけでもなく、見たこともなく、身近に向き合ったこともない僕にはわからない。ただ少なくとも、子供たちを守ろうとした大人が少なかったことぐらいはわかる。子供たちを理解しようとした大人がいなかった? それとも、子供たちを守れるような大人がいなかった?

 伝えられる情報しか手にすることができず、この事件も結局は忘れ去られることになるのだろう。当事者たち以外には。それゆえに、ただ傷つけられる子供たちがいることが悲しい。悲しい。悲しい。

 そして、何もできない自分が悔しい。僕には、日々募金するぐらいしかできることはないのだろうか……。

[◆]自己表現に飢えている

 最近はサイト更新に明け暮れているが、それはなぜだろう。また最近は会社でおそらくは素直でないと思われる態度をとり続けている。それはなぜだろう。トイレの壁にもたれながらしばらくぼんやり考えて、ふと思った。それはすべからく、僕という人間を表現するに当たってとても重要だったからだ。

 サイト更新は僕自身を表現する手段の一つである。HTML の書き方にわたって、そこには僕がある。一文字一文字作ってきた僕のサイトのすべて、僕自身が現れている。だから、 HTML の最新化なんていうものを平然とやらかすのだ。古い HTML ――サイトでは、今の僕を表現しきれないから。この際とのすべてが、僕がどういう人間なのかをあらわす手段となる。パソコンでみるには範囲的な量が多すぎてとても把握しきれないだろうけれども。

 また、最近の会社において素直でないのは、つまりは僕竜に仕事を進めているからだ。上司の言いつけを守らず守れず仕事をしているのは、各所において僕が勝手に判断して進めているからである。そして、僕はそれを悪いとは思わず、むしろ積極的に進めている。結果として上司の仕事が増えてしまって反感を買う。もはやそれは同じ職場で仕事ができるかできないかというところまできている可能性すらある。

 その場合、僕はあっさりと仕事をやめるだろう。そして、自分を表現するために活動を始めるだろう。世界群歩行者達というのは、そのすべてが僕という自分を表現するための手段に過ぎない。それを実行するのが僕だ。そこにあるすべてが僕だ。そこでげらげら笑っているのが僕だ。そこで踊り狂っているのが僕だ。そこでふてくされているのが僕だ。そこで妄想に浸っているのが僕だ。そこで不満をわめき散らしているのが僕だ。そこでそこでそこでそこでそこにいるのが僕だ。

 叫ぶために、叫ぶ場所がほしい。そんな場所はまだ存在しないから、自分で作らなければならない。すべてはただそれだけのために。自分に酔いしれるために。大地に僕の足跡を叩き付けるために。俺の存在を、高らかに高らかに。

 俺の存在を、高らかに高らかに。