四月一四日、月曜日の話
夢を見る

 割と面白い夢だった。

[◆]君の心の中は気持ちいい

 それは日本のどこかの海辺の町だった。友人に連れられて海のそばの道路を歩いていく中で見えるものは中国産のものに関する話題ばかりで、その危険性は夢の中にも出てくるんかいと驚いたものだった。つまり、これが夢である事は認識していた。しかも、僕の夢ではなかった。ここは、一緒に歩いている友人の夢の中だった。

 やがて僕と友人は浜辺に出て、友人の主導で空中に浮き上がり、友人の意思によってきらびやから青空の中、海の上を飛んだ。夏の緑に覆われた山を回りこみ、その中に走る線路を追いかけながら、やがては大きな大きな橋の上を横切り、海に線を引きながら風を楽しんでいた。

 僕は君の夢は気持ちいいと友人に言った。友人はそんなことを言われたのは初めてだと返した。

 やがて、少し茶色がかった山の山頂にたどり着いた。そこにはまた友人が一人待っていて、咲き乱れる梅の花を楽しんでいた。本物の梅の花以外にも、梅の花と認識していたが実際には梅ではなく、ひまわりの茎に巨大な桜の花が付いているような花が多かった。

 少し斜面を下ると流しそうめんをしていたらしい竹の樋が置いてあって――


 今朝は寒かった。昨日の夜、布団を重ねすぎてやや暑く、寝付けられなかったので布団三枚重ねを二枚に減らしたのだけれども、結果として朝が辛くなってしまった。目は覚めなかったけれども、頭が無意識に覚めて夢を見たらしい。ちなみに、この覚えていた夢の前には、何か悪夢を見ていた気がするのだが……。残念なことに、そっちは忘れてしまった。

 とりあえず、ちゃんと眠れていた時間はそんなに長くはないらしい。気持ち悪い〜。

[◆]性的魅力の話

 エロい話ではあるが、性的魅力って言うとどういうところに感じるものだろう。僕は男なので女性の性的魅力について男同士で意見交換したりすることもあるわけだが、胸が大きいのが好きだったり、胸はどうでも良くてお知りが大きいのが好きだったり、どっちも大きくなくて良かったりむしろ小さいのが好きな人もいたり、やせ細っているのが好きだったり太っているのが好きだったり顔で選ぶ人もいたりと、てんでばらばらだったりする。ちなみに僕は胸もお尻も程よく大きく、頭も顔もそこそこにいい均衡の取れた人がいいです。

 だが、性的魅力についてと言われると絶対に言及するのが乳房の大きさである。均衡が取れている、と言っても平均からすれば大きいのが好きに違いない。我ながらに。なぜならば、基本として大きいと言うのは肉体的に健康であることを示しているからである。緒論いろいろとあると思うのだが、栄養的、健康的、環境的に良くないとバランスの取れた肉体と言うのは出来上がらない。頭の良し悪しについては親の教育理念に関わるので、親も重要な確認点である。親の資質が物を言うからな〜。僕自身の親を見てつくづくと思います。

 健康的であることが性的魅力に繋がると言うのは、性的魅力が生殖本能に起因するものだからだと認識している。健康的であれば元気な子孫を残せる可能性が高い。美女美男に性的魅力を感じるのは、代々からして悪影響を受けにくかった健康的な家系であることを本能的に伺わせるからだと思う。突然変異的に美女美男が生まれる事はあんまりない。

 さて、ここからが本題である。僕は女性に胸の大きさを求めるわけであるが、では女性はいったい、男のどこら辺に性的魅力を感じるのかという問題である。この辺り、まともに女性から意見を貰った事はない。

 断片的な情報をつなぎ合わせると、ほぼ顔に集約されるようなのだが、そのほか、広い肩幅とか大きな手のひらとか力強さとか頭の良さとかがある。思うに、女性に求められるのが健康ならば、男に求められるのは生存能力である。敵に会えば敵と戦い勝ち抜く能力、社会に出れば大きい仕事をして大金を得る能力、つまりは生存能力である。顔についてはやはり健康が物を言うのだろう。健康である事は生存能力が高いことに繋がるから。

 つまるところ、この考えに基づけば性的魅力というのは高水準の良健康によってもたらされるものである。高水準と言うのは、ただ食べるものに気をつけるとか運動をするとか生易しいものではなく、そんなのは当たり前であり、なおかつ高い運動能力、教養、環境を持ち合わせなければならない。

 で、僕はどの程度と言えば健康的とも言えない。肉体としては献血したら貧血になる程度だし、腕立て腹筋が五〇回もできない、仕事が終われば気力なくてぼけーとしてるし、仕事している間もぼけーとしていて記憶の欠損が激しいし、仕事自体まじめにしてない。

 自身に性的魅力がないのに相手に性的魅力を求めるのは図々しいというものだ。本来、僕は伴侶を求めるべきではないのだろうと思う。そのあたりが整うまでは。道は険しい。

[◆]THE DAY OF SAGITTARIUS

 THE DAY OF SAGITTARIUS と言えば涼宮ハルヒの憂鬱に登場した架空のオンラインゲームのことであり(正式名称は THE DAY OF SAGITTARIUS V)、架空であったオンラインゲームを実際に作ろうと提議され、実際に作られ、そして現在まで僕が関わり続けたオンラインゲームのことである。

 昨日、ちょっとした勢いで過去の開発スレッドを HTML 化し、僕が運営する THE DAY OF SAGITTARIUS 公式情報管理局に取り付けた。結果として、昔のスレッドを再び読むことになったんだけれども、あのころは全盛期であり、人も多くて面白かった。今と言えば旬も過ぎ、話題性もなくなって開発者と一部の支援者と古参ゲーマーと流れ着いた新人さんだけしかいない。絶対数としては半分にも満たないだろう。

 スレを立てたらレス番号 2 で「死ね」と言われ、貶しあいが始まるのが昔の VIP なんだよな。今は「乙」と言われるからまたーりしてる。

 取り付けていたら、本日の自由時間がなくなってしまった。塊素第一情報区画の更新はまた明日。