四月一〇日、木曜日の話
他者を利用して生きる

 思えば、僕はいざと言うとき、さまざまな人を利用しまくって生きている気がする。

[◆]他者を利用して生きる

 僕は自分の目的のために、さまざまなものを利用している。時には使い捨てることもある。それゆえに怒りを買った事も少なからずあるが、実のところ怒りを買うことを承知の上で使い捨てるので、納得の上だった。人が絡む場合は人間関係が崩壊するが、止むなしである。捨てたくない人間関係など早々めぐり合えるものではない。

 過去に何回かそういうことはあったのだが、近い将来、この使い捨ては再び起こると予想している。ぶっちゃ毛、会社を辞めることなのだが。僕が辞表を出せばすべての社員が「お前にいくら投資したと思ってるんだ」と言うだろう。非常に残念である。すべからく、会社にとって損になる事は最初から予定されていた。入社当初に「二五歳までに世界群歩行者達設立の準備を整える」と決めていたもので。

 まだそこまで行ってないのですべては夢物語であるが、あと一年である。辞表を出さなきゃならない瞬間は迫っている。


 と、言うような人生を送っているせいか、「粋がってんじゃない」とお母さんと妹から言われるのであるが、粋がってるのかね……よーわからん。いずれは壊れると分かっているので深くは関わりを持たない、と言う部分があるが、そのあたりが偉そうにしているように感じるらしい。どうしようもないな。どうする気もない。