四月 五日、土曜日の話
お花見ー

 お花見に行ってきました。

[◆]花見

 四月。今週末は桜が非常に見ごろになっている。そういうわけで、家族で桜を見に行くことになった。まあ、毎年恒例のようなものだ。

 花見というのは桜の花にかまけて宴会することが目的だと思うのであるが、それはともかく、桜はきれいだなーと思うのである。ただ花をつけるためだけに生み出された不憫な花ではあるが、そしてそれが国花と言うのが冷酷だよねと思いつつ、桜を見ながらコンビニのおにぎりを食べるのも一興だ(ソメイヨシノは品種改良により生み出された不稔性の木である)。

 家族との交流を持てる数少ない機会であることは間違いない。毎日顔あわせているのに交流が少ないというのも変な話ではあるのだけれどねー。

[◆]世界群歩行者達とは

 世界群歩行者達とは独自に自給自足を行い、生活する組織のことである。という説明だけは基礎としてあるのだが、これをもう少し難しく言うと、第一次産業、第二次産業、第三次産業、公務を独自に内包する組織のことである、と言える。つまりは、ひとつの社会を形作るに必要な要素をすべて持っている総合組織である。現在の社会は第一次産業、第二次産業、第三次産業、公務は完全に分けられており、人々はそれぞれの産業において専門特化する形で所属している。農業やってる人は農業しかしていない。ソフトウェア作っている人はソフトウェアしか作らない。

 結果として、所属人数が純粋に各産業の強さを表すことになり人気がある産業が一番強くなる。現在は第三次産業であろう。そして、第一次産業は人気がない。公務は物を作らない管理に特化した場所であり人気はあるが退屈だと言う。退屈って事は楽ってことで、人気があるんだろ。

 世界群歩行者達では、個々人が各分野すべてに通ずることを必須とする。精通している必要はないが、そのあたりは個人の生まれ持っての気質による精度に頼ることにして、とにかく、すべての分野を経験することである。個人負担が大きくなるので発展を考えるならば良い方策とは言えない。つまり、世界群歩行者達は独立した社会構造を持つ、発展を望まない組織である。発展なんて、人が増えりゃー勝手に発展するものだと思うし。人が増えた結果、考え方が変わる可能性も十分にあるし。

 組織である以上、人は時間の経過と共に代わってゆく。結果として思想が変わっていくのは仕方ない。その場合、好き勝手にやって滅びればいいと思うよ。僕の目の黒いうちは度をはずさせないけれどもね。

 うまく動くようになるまで十年か二十年か。伴侶も子供も望めないな、あっはっはっはっ。