四月 三日、木曜日の話
仕事の一日

 珍しくサボりもせずにまじめに仕事していた。

[◆]過去の自分に拍手喝采

 今日の仕事内容は僕が去年の十一月〜十二月ごろに作っていたプログラムの修正である。当初の修正内容はそんなに難しいものではなかったのだが、今見ればとんでもなく複雑で無駄の多いプログラムになっており、分かりにくいことこの上ない。難易度は二倍にはなっている。使わなくていい変数がごろごろしており、条件設定の置き場所を間違えているせいで全体が複雑化し、そもそも使う変数自体を間違えているとかバグも存在すれば、よくこんなもん納品する気になったなと思う次第だ。古いプログラムはほぼ、爆弾を抱えていた。爆発しないで済んでいるのは、そのプログラムを動かす別のプログラムがおそらく無意識に回避してくれているからに過ぎない。

 その上で僕が感じたものは、過去の自分への賞賛だった。拍手喝采である。現在の知識を持っていなかった僕自身が、よくこんな複雑なプログラムを組んで動くところまで漕ぎ着けたものだ。その努力はすごいものがある。プログラムを見れば、変数のデータ型とかもっと便利な関数の存在とか、ぜんぜん分かっていなかった節がある。それでここまで出来たのであれば、まさに将来有望だ。

 ただ、そうは言っても分かりにくいしバグを持っていることは間違いない。このプログラムは一応、先輩も目を通してもらっているが、良くこんなのでOKしたなーと思うばかりである。納品してもいいようなもんじゃないだろう。むしろ、最初から作り直したほうが絶対にいいと思うね。時間も人手もなかったとは言え、品質としては最悪である。動けばいいってレベルじゃねぇ。つーか、一番初めに作っていたプログラム、本日 四月 三日までに作ってきたプログラムの中では最高に難しくねぇ? プログラムをようやく覚えた人間に難しいプログラムをいきなりやらせるとは、鬼のような教育というよりは自殺願望のほうが強いですな。

 そして、本来ならばここで全部修正すべきなのだろうが、こういうときに限って組織の壁が邪魔をする。このプログラムはすでに納品されており、すでに動いているのだから、大きな修正は加えてはならない、というものである。大きな修正を加えることで再度、チェックをしなければならないことを恐れているのだ。時間が掛かるから。

 僕から言わせて貰えば、すでに最初の確認自体がでたらめなものに成り下がっているのだから、全部修正しようよと思う。付け焼刃で修正を重ねてもいいことないって。

 本来、組織って言うのはこうした時間の掛かる作業を分担して効率化を図るもののはずなのだが……うちの会社、組織化といいつつ組織化できてねぇ。社員が個人として動いているだけだ。一つの仕事を一人、ないしは二人でやろうとすること自体が間違い。そもそも一〇人しかいないんだから、こなせる仕事は一つか二つだって。今何個仕事請け負ってんだよ、顧客企業の数だって一〇企業以上じゃないか。売り上げ伸ばすためにもっと数を増やすって、そりゃ自滅への道ですぜ。

 僕がいてようやく仕事量ぎりぎりな雰囲気が漂う。よくぞ、僕が入社するまでの三年間、新人なしの状態で赤字から黒字へと転換できたものだ。どれだけ給料削減およびサービス残業かましてたんだ? やれやれ。


 過去に作った自分のプログラムを眺めることは楽しかった。今から見ればほとんど笑いもののような下手糞なプログラムである。とてもプログラムの見本として出せるようなものじゃない。そこにあるのはただ、何とか動かしたいという努力だけだった。努力だけじゃ何にもならない部分はあるのだが、何回も同じ場所で足踏みして固めに固めた地盤がそこにある。そんな気がする。

 と、まあ僕にとってはよかったのだが、成長過程の未完成品を商品として出すのはどうなのかなぁ。塩が付いてないどころか少しこげている目玉焼きで金を取ろうとしているようなものだ。こげているのには目を瞑ってくれるかもしれないが、塩が付いていないのは流石に文句言われるんじゃないだろうか。

 新人教育は難しいというところかねぇ。やりようは大体わかってきたのだが。