三月二七日、木曜日の話
昨日はサイト作りをしなかった

 ひたすらゲームばっかり。

[◆]無意識ではサイトを作りたくないんだろうか

 昨日、サイトを作ろうと朝から意気込んで仕事をし、家に帰り、ふたを開けてみれば一切サイト作りをしなかった。小説投稿サイト……「自由夢幻会場」。PHP と C 言語 CGI と MySQL データベースからなるプログラムサイトである。外見的なものはほぼ完成しているのであるけれども、外見しか完成していない状態では使い物にはならない。まずはなんにしろ、動的サイトとしての体裁を整える必要がある。

 真正面から言えば、どう考えても体裁を整えるだけで大変である。なんともすれば、PHP も C 言語も MySQL も、すべてにおいてまともに使えるほどの知識も経験もないためで、HTML だけならすぐにどう書けばいいか思いつくが、プログラム部分については……頭に形が思い浮かばないのである。

 だからと言って、出来ないと言うわけにはいかない。どうしても必要なのである。本による勉強はしているが、使いこなせるようになるのはまだ先のことだろう。簡単なプログラムでいいから書いていくことが大切である。

 それすらも出来ないというのが問題。ひたすらゲームばかりしていたのが問題。三ヶ月前に比べたら家に帰る時間は二時間ほど早くなっているのだから、余裕が出て当たり前と思うのだが、結局何もしていない。

 ……会社で気力の大半を失っていると言うのは簡単であるが、怖いのは、それでは仕事を辞めて自由になりました、という状況になったときにも何もしないという状態に陥る可能性があることである。本当に、僕は心からサイトを作りたいと願っているのだろうか。

 答えは即答、否である。僕はサイトを作りたいわけではない。サイトを作りたいのではなく、僕自身がより高度な自由を手に入れる手段が欲しいのである。サイトはそのための手段であり、目的ではない。

 目的を達成するためには手段が必要であるというのは、そこそこしんどい。目的のものを得る前に、手段を確保しなくてはならない。これがまっためんどいんだなぁ。時間も掛かる。ゲームしている暇なんて本当はないはずなのに。この辺りが、優秀な人間と駄目な人間とを分けているに違いない。

 もう少し頭の回転が早かったらよかったのだが。自分は馬鹿だなぁと思う今日この頃。

[◆]年上ならば、年上らしくして欲しいものだ

 飯に行くとき、僕の先輩が積極的に僕よりも前に行こうとしないのには困ったものがあるなと感じる。わざわざこちらが歩く速度を不自然なぐらいに落とさないと前に出てくれないのが非常に面倒だ。

 何でわざわざ先輩を前に出すかというと、飯のときは上下関係上、どこで飯を食べるのかの選択決定権は先輩にあり、僕はそれに従うのみなのであるが、僕は従うのみな立場である以上、先輩よりも前を歩くことは礼節上、良くない。また、仕事の上下関係がなくても年上であり、人生経験は僕よりも多いはずなのだから、率先して年下を導くという態度をとって欲しいのである。まったく持ってしてかっこ悪い。こうした構図は僕が年上であった場合は絶対に取りたくないものである。

 その辺りが分かっているのか分かっていないのか、ややもすれば先輩がいるかどうかを“振り向いて”確認しなければならない場合があり、これがやだなぁと思うわけである。僕自身が前に出ないよう気をつければいいのだが、気がついたら追い越しているときがあるもので。

 新入社員が入ってきたら、この辺りはしっかりしていきたいところだ。……うちの会社には今年、新入社員は一人もいないけれどね……。

[◆]ニート問題とかは単純な問題かもしれない

 昨今ではニートな人が親から「働け」と言われたからと言って八人ぐらいが殺傷されたり、妹をばらばらにしたり、進学も就職も出来なかった高卒の子が電車に向かって人を突き飛ばしたりと派手に人が死ぬようになったものである。もうすぐ「仕事口もなく鬱憤がたまっていた」という理由で高層ビルに自殺テロ(自爆テロでなく)を行うやつが出てくるんじゃないのか。日常的な警戒を強めるだけでなく、遺書も書いとかないとなぁ。いつ殺されるか分からんよ。

 さて、経済的理由から進学できず、就職するしかなかったのに就職口が見つからず電車の駅のホームで人を突き落とした子の話は棚に上げておいて、少しニートの人についての話をしよう。

「ニートは甘えである」というのは社会的意見の半数ぐらいを占めているらしい。まあ確かに、ちゃんと勉強してちゃんと就職活動をすれば就職できないということはほとんどないだろう。在学中に自分自身に対して確たる自信を身に付けることが出来なかったから就職活動をしないのである。たとえ、大学新卒という札を持っていなくても、別のもので自身の能力を示せば企業側は雇用に動くはずである。得か損かが大切なことだから。

 それをせずにただ怠けていれば、そりゃ働いている人間からは甘えと言われても仕方ないかもしれない。しかしである。ここにおいて、実際に働いている僕自身はどうかというと、ニートの人たちがただ甘えているだけではないような気がする。なれるもんなら、僕もニートになりたいよ、正直。ニートになって独自にプログラムの勉強をして稼ぎたいよ。目指せ月収五十万。

 実際に働いて一年過ぎた人間から言わせて貰うと、現在の社会は新しく生み出される若者に対して“高度すぎる”のである。小学校を卒業した子がいきなり高校に編入されましたというような感触がある。そんなもん、付いていけずに学校休むに決まってるだろうが。僕の場合、その辺りの格差を約九ヶ月間ほど毎日、午後十時までのサービス残業と年末休業中に休み返上で泊り込んで勉強と仕事をして吸収できたというだけである。本気でわからなかったからな……。先ほどの高校の例で言えば、高校での勉強時間を六時限から十二時限まで増やして、足りない知識を詰め込んだようなものである。小学生、中学生、高校生の皆さん、朝の九時から昼休み一時間入れて午後十時まで勉強です。納得できますか?

 できるかボケナス。というところが大半の返答だと思うんだけれど、今の社会の状態はそういうことである。しかも、そうであることを明示しようとしない。入学前は一日六時限ですと言っておいて、いざ入学したら十二時限までの時間割表を渡されるようなものだ。で、もしもそういうことをする学校がある、と情報が回ってくれば大抵の子供はその学校を忌避するだろう。そして、もしもすべての学校がそういうところだったら? 入学しようとしないやつが出てきても不思議じゃない。環境が違いすぎる。

 環境として、学生環境の延長線上に社会環境がないのである。斜め上ですらない。月とすっぽんである。

 この差に対して蹲る(うずくまる)事を甘えと言えるのかどうか。もちろん、社会側は現在の社会水準を維持できなければ成り立たなくなってしまう。水準を落とすことは出来ない。若者には、この水準に追いついてもらわなくてはならない。そして、追いつけないわけではない。在学中であっても社会水準並みに力を付けることは可能であり、それなのに水準に追いつけなかったのは本人が甘えているからだ、と言いたいらしい。

 僕が思うに、確かに水準に追いつくことは可能である、しかし、「十分に可能である」とはとても言えないと思う。現在の日本社会は基本として、若い人を第三次産業向けに教育している。第一次、第二次には大学以上の教育は必要ない。それが必要となるのはほぼ、第三次産業だ。第一次、第二次には学校教育よりも実地経験のほうが必要である……にもかかわらず第三次産業向けの教育を詰め込むために若者の時間を奪い取るのである。よって第一次、第二次産業に付こうとしない後年的若者ばかりが生産され、しかしそれでも社会水準に満たない若者ばかりになり、ニートが生まれるのである。

 ここで、さらに学校教育の質を向上させればいいと思うのは軽率だろう。現在の六時限制の教育において、何の問題も出ていないかといえば、出ているのである。一生懸命勉強していた子が突然無気力になってしまう事例なんかたくさんあり、保健室登校や登校拒否の子だっている。暴力事件云々は関連があるのかどうか疑わしいのだが、まああることはある。

 言葉は非常に悪いが、児童、学童、学生に社会的不良品が出ても出るものは出るのだから仕方ない。しかし、それならそれで不良品が出ないように努力すべきで、大学以下の場所では不良品が出ないよう、また不良品が出ても改善できるよう苦心している。それを邪魔するやつがいるがな! そして、社会人に関しては、この不良品を出さない努力、出ても改善する努力はほとんど行われていない。使えなかったら永遠に使わない。使えなくなったら解雇する。驚くべきことに、大抵の会社では出さないようにするどころか、むしろ不良品が出るような仕組みを是としている。耐用年数なんてものが存在する時点で態度が分かろうものだ。

 ニートは確かに耐久力が弱い人がなるものかもしれない。しかしそれは、人を消費しようとする社会側にも問題があると思う。社会に出ても耐えられないとなれば、自分を守ろうとするのは至極自然なことだとは思う。つまるところ、耐久力が高いか、不自然な人しか社会には出れないのである。体感、不自然な人のほうが多い気がするけれども。

 この問題を解決するには二つ。若者の質を上げるか、社会の水準を下げるか。国際化が叫ばれてなんやかんやしている中では社会水準を下げることは誰もしようとしないに違いないが、また便利な世の中を手放したくない人があふれかえっているせいでやっぱり誰も水準を下げるような真似はしないだろうが、ここいらでひとつ、社会水準を下げる必要があるのではないかと思う。

 それに、ニート問題を差し置いても、便利であることがいいとは限らない。便利であると、疲れることが多いんだよ。本当。使いこなすのにはそこそこの資質が必要であり、そこそこの能力が必要だからねぇ。パソコン使えば、誰もが納得することだろう?