三月一六日、日曜日の話
コーヒーブレイク

 喫茶店でコーヒーを飲みながら読書もたまには良い。

[◆]コーヒーブレイク

 最近はずいぶんと暖かくなって来ており、外に出ないのがもったいないと感じるほどになった。と、言うわけで本日はコーヒーブレイクで喫茶店で読書にいそしむことにした。とはいえ、本日も起きたのが午前十一時、朝食はカロリーメイト、二時間後に朝食として用意された食材を昼飯として食べると言うぶっこわれた生活をしてしまったため、コーヒーブレイクも午後四時半と最も気持ちのいい時間帯を逃した格好となった。午前十一時に起きるの、何とかしたい。

 マンデリンを飲みながら新書を読む。新書は「ケータイを持った猿」という本で、現代における携帯メールの言語的崩壊を嘆いているものである。まだ最初の部分しか呼んでいないのであるが、携帯メールを分析するに当たり、言語ではなく記号としてメールがやり取りされていることについて言及している。一昔前にはやったギャル文字、ヘタ文字を筆頭としている。まあ確かに、言語と言うよりは記号かもしれない。複雑な意味合いは相手に届きはすまい。例えばの話、僕の日記一日分をギャル文字にしようったって作る側も非常に大変だし、送られた側も何がなんだか分からないに違いない。つーか疲れるだろうね。そういう文字は言語としてではなく、記号として扱われる。言葉の意味よりも文字の形を重視しているからである。

 記号を利用した意思疎通は動物のそれである。また、家にいることを嫌い、家出にも似た行動を取る「出歩き人間」の携帯利用状況を見るに、知り合い全員に平等にメールを送らなければならないと言う「社会的平等観念」が見られる。これはチンパンジーの分配行動に似ており、つまり、携帯を持った出歩き人間はチンパンジーのようだと言うわけだ。もう少し読み進めないと何とも言えないが、今のところは難癖のように感じるのだけれども。槍玉に挙げられているギャル文字は確かに言語としては許容しがたいものがある。だが、あれって言語と言うよりは暗号に近いわけで、規則があり、規則に従えば複雑な文章構築も不可能ではない、はず。

 一時間でコーヒー二杯で千円。なかなか高いコーヒーブレイクであった。まあ、家にいたら新書を読もうと思わないわけで、そこそこいい環境ではあるかもしれない。半年に一回あればいいかという感じであるが。

[◆]ひどい日記過去ログ

 塊素第一情報区画において新設しようと画策している【遊戯記録室】という項目において、僕が使用しているパソコンのスペック等を公開するにあたって過去の日記から当時の情報を得ようとしたのであるが、なんと過去ログの日記ページのリンクミスや表示の不整合などがみっともないレベルであったことに愕然とした。まともに日記を読むことができないのである。これはひどい。

 九月分だけはもともに読めるよう修正したけれども、他の月もひどい状態になっておりまともに見れたものじゃない。手早く修正する必要がある。

 こういうのを見ると、僕のサイトの至る箇所が相当に痛んでいることを痛感する。未整備のままほったらかしのページも多い。整備しないといけないなぁ。平日の合間にできるだろうか……。