三月 六日、木曜日の話
部署を考えた

 朝、世界群歩行者達の内部部署について考えたらちょっと笑えた。

[◆]世界群歩行者達 深核部司令官 塊素

 前に「塊素(かいそ)と言ったら開祖(かいそ)みたいだよね」と言われることがあると日記に書いたが、さらに本日、部署の名前を思いついたと思ったらこれまた宗教がかってた。

「最も初めの塊の素が存在する場所は塊の中心であるからしてもっとも深い核となる部分である。深い場所にある核で“深核部”という部署にしよう」と思いついて、「しんかくぶ」と読んだ段階で別の漢字が当てはまってしまった。おそらくはすでに大抵の人が思いついているのではないかと思う。「神格部」。

神格では?

 Windows XP なんかもう即座に「神格」の文字を挙げてくれている。ちなみに他には「真核」が使えそうな感じがするのだが、真の核ったって真も偽もないので当て字としても不適当である。

 これもまた偶然の一致なのであるが……僕の名前が宗教みたいと言われたと思ったら今度は部署名までなんか宗教みたいで、そしてやっぱし活動内容も宗教みたいである。が、普通、並の宗教で「神格」なんてぶっとんだ単語使わんよなぁと思ったり。神の身代わりであるとか神の子であるとか神の教えを受け継いでいるとかいうのはよく聞くが、神である、とはあまり言わないんじゃないだろうか。神格って言うのはそういうことだし。

 神になれるのであれば神になりたいもんであるが、僕程度が神になれるわけもなく、単なる偶然として片付けさせていただくことにしよう。重要なのは神格ではなく、深核。日本語は面白いなぁ。

[◆]ついでに「塊素」について

 ここで、改めて「塊素」という名前にも触れておく。本来、「塊素」とは個人を指し示す人名ではない。僕しか使っている人がいないので結局は僕個人を指し示す名前として認識されているし、僕自身もそのように利用している。しかし本来は「塊素」は塊の素、塊を構成するあらゆるもののことを指す。塊を構成するにあたり、何でもいいから一役買っていれば塊の素となる。利用するにあって実に敷居の低い公共的な名前であり、つまりは僕のサイトをただ見ている人ですら、僕のサイトを構成してくれている「塊素」と呼べるのである。

 まあ、元来の解釈は「この世界に存在するありとあらゆるものは、この世界を構成するのに欠けてはならない塊素である」なもんだから、そもそも改めて「塊素」と名乗ること自体、意外と意味のないものだったりする。「私は人間です」、「私は動物です」、「私は生命です」、「私は地球にいます」と名乗る以前の次元の話だから。

 そこを改めて名乗ることができるのは一重に今の世の中の大半の人がこの解釈を持っていないからで、本来独特ではないはずの意味が独特になってしまっている。おそらく、僕以外の人が「私は塊素です」と名乗ったとしても、僕を知っている人ならば誰も“本物である”と認識しないだろう。認識しないことこそが問題なのであるが。

 では、もしも塊素の解釈が広がったとき、僕自身は塊素であると名乗らなくなるだろうか。その時どうするか、実は考えてない。というよりは、考える必要はないだろう。もしも別の塊素と区別する必要があるならば、その時、区別を必要とする人たちが新しい名前をくれることだろう。

 かっこいい名前を希望だ! ただし、いい名前か利用してもいい名前か、きっちり判断はさせていただきます。

 ……予想としては、役職で呼ばれるか、親から貰った名前で呼ばれるようになるかかなー。その方が簡単ではあるね。

[◆]昨今の新人事情

 さて、四月も目前。あと数日で各大学にて卒業式が行われるだろうが、現在、僕の会社には新しい人が入ってくる予定がない。今まで何人かは採用面接、および試験に来たのだが、全員がプログラム適性検査で不合格になったため、採用されることはなかった。うちの大学の経営学部とか経営情報学部とか本気で名ばかりになってるじゃないか、連立方程式が解けないって質の下がりすぎにも程があるだろう。学部でどんな勉強をしていたかについて聞いても「インターネットとかメールとか……」って、甘く見て二週間もあれば解るようなことを延々四年間やってきたわけでもあるまいに。うちの大学、入試試験がざるになってんじゃないの? いくら全入時代って言ったって、学生の質が上がったから全入になったわけじゃないことを痛感する。単に大学が生き残りたいから全入になっただけであって。

 まあ、仕方ないことなのかもしれない。うちの会社だってがんばっていると言えばがんばっているが、決して質のいい会社じゃない。大学にパイプを持っていても残り物みたいな人しか回されないようなところだしねぇ。インターンシップの経験もなし、ビジネス講座も受けてない、学業成績も可ばっかりとか。ついでにプログラム適性検査も不合格。流石にこれはひどいと思うよ。苦労してなさすぎの人ばかりじゃん。

 経営状況も良いとは言えないし、適性がない人を育て上げるのはかなりしんどいだろう。適性があった僕を育てるのにもかなり苦労していたみたいだから。僕もプログラムの勉強と言ったら過去のプログラムを見て、ソフトにくっついているマニュアル見てのほとんど独学だったしなぁ。きっと、この独学で何とかなってしまったからこそ、C言語にあこがれるのであろう。独学ではどうにもならない壁があることがわかる。Delphi なんざ温い温い。まだ完全に使いこなせてはいないが、しかしもう仕事でサボれる程度には使えている。C言語なんか、文字列の検索置換すらまだできてないぜっ!

 さて……新人が入ってくれないと僕が辞められる雰囲気が微塵も出てきてくれないのだけど、どうしたものか。こればっかりは僕個人の努力で何とかなるもんじゃないしなぁ。うーん。

 会社としては新人よりも経験を持った転職者を採用すべきだと思うんだけれども、条件的に誰も来てくれないに違いないしなぁ。ほんと、ジリ貧状態だ。会社傾いて、辞めてくれって言われんかな。あと腐れなく辞められるとしたら、今のところはそれが一番可能性は高い。うーむ。