二月二〇日、水曜日の話
苦労を知らない世代の話

 苦労を知らないがゆえに、前提が存在しない。

[◆]苦労を知らない世代

 僕は苦労を知らない世代である。ゆえに、古い世代の人たちが前提としていることがまったく伝わっていない。おそらくは彼らは過去に苦労をして過去の伝統的な前提を受け継いできたのだろう。しかし、僕にはそれがまったくわからない。

 本日、過去に作成されたプログラムの修正について僕が大丈夫と判断した場所で間違っていると指摘された。過去にはこう作られていたのだから今回もこれでいいだろうと判断したわけだが、時代が変わって表示するべき項目が増えていた。それが追加されていないということだった。ちなみに、間違いであると指摘された部分は暗黙の前提に含有されるものであり、渡された仕様書には一切書かれていない。「変だと思わないわけ?」と尋ねられたら「まったく思いませんでした」と答えるしかない。変だと思えるだけの前提が僕の中にないからだ。

 今回の件は本題の「苦労を知らない世代」とは直接結びついていないのであるが、今回の件から想起することが出来ちゃったので書いておこう。

 昨今の若者は自分から行動できない、とよく言われている。僕自身もあんまり自分から行動しているといえない。なんとも自分から行動するとあらゆる箇所で制止が掛かってしまうもので。要するに、やることなすこと会社の人から言わせれば間違いだらけなのである。正解となる行動が出来ない。まー、もしかしたら「正解となる行動が出来ない」=「昨今の若者は自分から行動できない」とされているのかもしれないなぁ。

 正解となる行動が出来ないのは、何が正解かを事前に教わっていない、もしくは発見していないからだ。会社の内部でしか通用していない行動や考え方なんぞ身内でないとわかりっこないので、それが出来ることを前提にして文句いわれても肩をすくめるしかないのであるが、そうでない社会通念的な事に関しては、「苦労をしていないから」の理由が最も多そうだ。

 「苦労をしていない」というのは「多くの経験を持っていない」と同義である。経験が少なければあらゆる場面でいわゆる正解となる行動は取れない。経験とは「この状況でこの行動をすればこの結果になる」という状況開始から結果までの情報を持っていることである。状況、行動、結果、いずれが欠けても完全な経験にはならない。完全な経験を多く持っていることは「苦労をしている」ことになる。

 苦労をせずして社会に出た若者はあらゆる場面で初めて状況に出会うことになり、どのような行動をすればよいのかから考えなくてはならない。考えた末の行動も予想できるだけで結果がどうなるかわかったものではない。大抵の場合、予想を超えて望ましくない結果になる。予想しきるだけの材料も足りていない。

 こうして「苦労をしていない、知らない」若者は「苦労をした」世代から非難を浴びるわけで、対処法としてはただ耐えるだけしかないという痛ましいことになる。こうして若者は「苦労をする」わけだ。ブラック企業に入社してしまったのも、苦労をしたことにはなるだろう。相当な苦労および相当な激痛だろうが。

 今の日本社会において、子供に苦労をさせることは美徳ではないとされている。学校での勉強は社会に役立つ苦労とは言いがたいところがあり、まあ頭の動きはそこそこ良くなるんだろうけれども何か足りない。教科書との付き合いだけで何でも出来るようになると思うなよ! 思ってないだろーけど。同世代との付き合いだけでは旧世代の前提とかがまったく伝わらんだろうし。ちなみに、旧世代にも新世代の前提がまったく伝わらない。これが溝。

 社会がしてほしい苦労を若い世代がすることは今や稀になっている。受け手である旧世代はそれを認識しておく必要があるだろう。

 大人とは、何も知らない人に物を教えることが出来る人のことである。それが出来なければ大人とは言えない。そういうわけで、僕はまだまだ子供なんだろうなぁ。がっかり。