二月 七日、木曜日の話
初めて目覚ましを無視した

 とうとう、鳴り続ける携帯の目覚ましを無視するようになりましたよ。

[◆]目覚ましを無視する

 朝の目覚ましには携帯電話の目覚まし機能を使って音楽を流しているが、本日、五分毎に一分間ずつ、六回鳴る目覚ましを完全に無視してベッドから起きませんでした。今まで、目覚ましに気がついたら寒かろうが眠かろうが、四分の三ぐらい眠ったまま携帯を取りに行って止めてまたベッドに潜り込んでいたのですが、今回は目が覚めても起きもしなかった。う〜ん、どうやら、寝不足がいよいよ深刻なレベルになってきたらしい。零時回ってからC言語プログラムなんて作ろうとするんじゃなかった。中身も空っぽだし。

 最近は会社でも仕事をしていると言えば仕事をしているんでしょうが、能率がかなり落ちているように思います。作るもん作れてても、何かのんびりしているような。いや、現在、会社全体がのんびりしていますけれども。みんな帰るのが早い。

 ここいらで遊ばずに休息を優先するべきだな。そうは言いつつ、遊びそうではある。

 有能にならなければならないのに有能になれないというのは、壁があるってことなんだろうなぁ。

[◆]組織としての体制

「はじめの一年は新人として扱ってくれるからみんな助けてくれるけれども、一年過ぎたら誰も助けてくれなくなる」

 というのは社長の言葉であるが、一年過ぎたら新人ではなくなるとはいえ、誰も助けてくれないというのは組織としてどうなのだろう。誰か一人が躓けばそこそこ組織として不利益をこうむるはずなので、助けないというのはおかしい。てか、一人でやれっていうならわざわざ会社に所属している意味はないようなぁ。一人で出来るなら独自に金稼いだほうが良いような気がする。

 実際はもちろん違う。一年過ぎたからといって誰も助けてくれないかといえばそんな事はなく、社員同士でかなり助け合っている。だから仕事が成り立つ。請け負った仕事が無理なら、ほかの人に代わってもらえる場合もある。致命的な場合は上の判断で替えられる場合もある。ただ、上の判断で替えられるということは「使えない人材」という烙印を押されることでもあるので、そこそこ大きい企業ならリストラの対象になるかもしれない。

 組織であるならば、構成員を助けないなどとは言ってはいけない気がする。いつまで経っても質の悪いままの構成員は必要ないので切ってもいいとは思うが、構成員のつながりが組織を組織たらしめているのならば助け合わねばならない。

 教訓。

 さて、その上で必要だと思われるのが「仕事内容の共有」である。仕事Aを担当している人間以外にも余裕があるならば仕事Aの内容を知っておくことは必要だろうと思われる。共有する人間は多いほうがいいが、手一杯の場合は共有しなくてもいい。とにかく「あいつは今、こういう仕事をしている」と説明できる人間が担当者以外に必要だと思われる。でなければ、その担当者が不在になったとき、誰も何も出来なくなる。助けることも不可能だろう。

 うちの会社では担当者一人しか仕事内容を知りません、という場合はあまりないものの、一部の人間しか知らない仕事もあったりしてそれに関する他社からの問い合わせがあったりするとまったく答えられない場合がある。担当者が戻ってきたら折り返すということになっているが、どうにももどかしい。

 一つ一つの事柄に組織全体で取り組めることが理想なのだけれども、現実問題としては分割しなければならないこともあるって事なんだろうなぁ。完全分割はしないにしても。

[◆]爪がそろそろ限界に

 深爪しすぎた。親指の爪はもう噛めそうにない。ちょっとひりひりする。ストレスかねぇ。やはり睡眠時間の短縮が原因だな。つまりは自業自得だ。

 今日は早く寝よう。十一時前には寝たいところだな……。