一月一四日、月曜日、成人の日で祝日の話
あれ? 僕の笑い声ってこんなのだっけ?

 あー、今日は心から笑った気がする。

[◆]僕の言葉を理解している人

 いやー、本日、ものすごく驚いたんですよ。TDoS で知り合ったジョジョガラバさんからのメールを読んで。

 メールの内容は僕のここ数日の日記を読んでの感想でした。そして、その理解にものすごく驚いた。まさか、ここまで分かる人がいるとはね。メール内容の公開の許可をいただいているので、抜粋して紹介します。

1/8 (中略)

 何事も、完成させるまでの過程が一番面白い。
 これってのは、俺的に噛み砕くと、「不確定、不安定であるから面白い」ってことだと思うんですよ。
 tdosのバグ探し然り、文化祭の準備然り。
 不確定なものを確定させる、不安定なものを安定させる。
 そこに面白さは存在すると思うんです。
 完成させたものは、その直後は面白いけど、もうそれ以上変わることはない。
 変化のしないものに面白さはない。

 あー、書きたいことだけ書いたらまとまらなかった。
 でもいいや。完成させたところで俺は何一つ面白くない。

 で、これを書いてまた思ったことがひとつ。

 塊素さんは、不安定、不確定を求めて、世界群歩行者達を創ろうとしているんじゃないか。

 今の安定、確定が蔓延る世の中、全然面白くない。
 じゃあ、創ればいいじゃないか。不確定を、不安定を。

 ここまでふと思ったことを書いたが、それ以上練れなかった。残念。

 まずは一つ驚き。「不安定、不確定を求めている」というのは僕はまだ言葉にはしていませんし、まだイメージもつかんではいない。しかしまあ、すでに安定した社会と比較すれば僕が作ろうとしている物がどれだけ不安定で不確定なものになるか、僕も理解していないわけではありません。いやー、不安定で不確定だからこそ、わくわくするんだけれども。大体からして自分の命をかけなきゃならないものが安定していて確実なわけないものね。

1/8 (中略)

 今までさ、生物って、自らの体を進化させて、環境に適応してきたわけじゃない?
 人間は、道具を使える知性を身につけた。
 それを使って、生きてきた。

 知性っていうのは、最後の進化だと思う。

 人間は、知性を使って、道具を使い、生み、自らの体を進化させることなく環境に適応した。
 それは、どういうことなのか。

 体、ってのは、自らの持つ純粋な力。
 それを以ってしても生きられない環境には、屈するか、新たな進化をするしかない。
 それをしないで生きていける方法を、学んでしまった。
 進化しないで、生きていけるようになってしまった。

 生物としての、安定。

 知性を使って環境に適応するってことは、即ち道具を使って環境に適応しているってこと。
 それは暗に、人間の体に純粋な力が殆ど備わっていないことを示している。

 良く形にできたものだ、と思う。こういう考えを読むと自然と嬉しくなってしまうのは、おそらくは僕もこの考え方が正しいと思っているからなんだろう。ここまで深くは考えては居ませんでしたが、経験すべき経験を最近の人間はしていないと僕は考えています。経験していない人間には僕自身も含まれます。ゆえに、僕は早急に人間として経験すべき経験をする必要がある。まずは食料を作るところから。

1/8 (中略)

 ここ数千年っぽっちの間に、世界は大きく変化した。
 人間が、変化させた。

 過剰な道具の強化は、世界に害を与え始めた。
 過剰な知性の発達は、自らをも滅ぼす技術を生み出した。
 過剰な安定への欲求は、自らの進化を止めることになった。

 もう、滅びは近いのかもしれない。
 道具にさえ、知性を与えようとしている。
 自分の弱さを補うために生み出したのだから、自分より高い能力を持っているのは当然だ。
 人間が道具に滅ぼされる未来が容易に想像できるだろう。

 道具を使うことは人間に備わった能力だから、それを存分に使うことは何の問題もない。問題は、自分たちの役割すらも道具にまかせっきりにしようとする怠け心である。道具に心を売り渡したとき、人間は滅ぶ。道具に心を飲まれるな、というのは簡単だが、それが如何に難しいことか。それができたらそういった人間を人々はなんと呼ぶか。英雄とでも呼ぶんじゃないの?

 行き過ぎれば滅ぶ。現実がそういうものであったならば何の問題も起きなかったんだろうが、現実はそうじゃなかった。実に甘い。甘いツケとして、とても大きな滅びをもたらすことだろう。さもありなん。その時には僕も死ぬ側に回るので、潔く死にましょう。どんな事情があろうとも、ツケは支払わなくてはならない。そういうものだと信じたい。

 1/11 実現できると考えている、それは、人間だから。
 そう、人間だから。
 最大の武器、最後の進化で得たもの。知性。
 そこには、限りなく無限に近い可能性が秘められている。
 それがある限り、実現不可能なことはないと、思い込むことができる。

 新たな時代の開拓者っていうのは、そんな考えを持つ人間の中から出てくるものなのかもしれない。

 夢を実現するためには、思っているだけではなく、十分な資質も必要だ。夢を実現で切るだけの資質を持っているか? それを確かめる方法は簡単。実際に実現を試みてみればいい。成功すれば資質があった。失敗すれば資質がなかった。挑戦への対価は自分の命。ま、自分にとってこれ以上高価な物はなく、また安い物はない。成功者しか世に残らなくても、やりたくなるもんだ。

 答えを出すときがくるとしたら、決まっている。
 死んだ後だ。

 人間が意味や価値をつけるのに、途中で決定することはできない。
 すべてが確定した後、すなわち死後。
 そこで、答えを出すしかないだろう。

 最後に、ジョジョガラバさんのこの答えに、僕から一つ言葉を添えさせていただきます。「満足したかどうかは、他の人間には永久に分からない」。最後に残るのはどうしようもない自己満足です。それが満たされていればあとの人間がどんな結果を後付けしようが削除しようが関係ないっしょ?

 僕は生きている間に楽しい事をやりたい。だから、自分が楽しめる方法を考える。望めるならば、僕の楽しみを多くの仲間と共有していきたい。僕のわがままに付き合おうなんていう酔狂な人間はそんなにいないと思うが(笑)


 このメールを読んだとき、僕は笑いました。心から。自分でもとても久しぶりに笑ったと思います。あまりにも自分の笑い声が変な感じでした。僕の笑い声は楽しそうでもなく、しかし少し嬉しそうで、乾いてて面白みがなくてなんだか貧相な感じがしました。まさに今の僕の常態を表しているような、つまらない笑い声でした。

 さて、また明日から何かが始まります。とりあえず仕事ですかな。明日から八時半出社になってしまってきついっすわー。会社の歯車ってやつですね。ま、別途いろいろと進める事にします。