一月一二日、土曜日の話
今日は良く寝たー。 [◆]夢の話
広場で何かお祭りがあるらしいのでいってみた。そこは周りに何もない、人間社会からは切り離されたかのように何もない場所にぽつんと存在する広場で、広場の奥には一応、人間社会を象徴するとても大きなビルが一つ、立っていた。広場はそのビルを奥に据え置いてとても広く塀で囲まれており、正門からは立派なレンガが埋め込まれた広い一本道がビルまで延びていた。今回の祭りはその一本道の上で行われ、その一本道の周りには屋台が出ていた。来ている人はとても多く、来ている人はほとんどが日本人だった。
僕が正門から広場に入ったとき、僕の後ろからパレードの人たちがやってきた。横に十人ほど、十列ぐらいで行進してきたその人たちは全裸であり、一列目の人が全身を真っ青のペンキで塗りたくった真っ青な人たちであり、二列目は黄色、三列目は赤、四列目は紫、五列目は緑と原色がまぶしいパレード隊だった。彼らは横の人と手を組み、組んだ手を掲げたり降ろしたりしながら広場に入ってきて、程よく一本道を行進したところで停止。全員が来た道のほうを回れ右右して振り返り、手を組んだままスキップしながら踊るように行ったりきたりし始めた。よく見てみれば全員が日本人ではなく、外国の人らしい。しばらく見ていたのだが、下品な事が始まり(どんな事が行われていたかは覚えているのだが、自重)僕はパレード隊から背を向けて、離れているところにある自動販売機などがおいてある休憩所に入った。
パレード隊は腰振りだけでどれだけ早く射精できるかというよく分からない事をしていた。一番前の一番右の人がやたらと早かったらしくて観客が歓声を上げていた。その射精した人の隣にいた女の人がフェラをしていたという話もあり。
休憩所には高校生時代の友人二人がおり(誰と誰かは覚えている)、二人は楽しそうに笑っている中僕が来た事に気づいて、二人が食べていたらしいやきそばのパッケージを差し出して「悪いけど、これと同じ物を買ってきて」と大きなビルのほうを指差した。僕はすぐに大きいビルへと向かった。
レンガの一本道を進むと大きなビルにたどり着く。このビルは駅のように横幅のずいぶんとある巨大なビルで、レンガの道は途中からタイルの道へと変わり、長い通路を歩いていけばスーパーがある。スーパーに入って、渡されたパッケージと同じ物を探し始める。スーパーもなかなか巨大で広々としていた。玄関からかごが置いてある場所までの間で軽く演奏会ができそうだ。野菜売り場を過ぎ、お菓子売り場を過ぎ、肉売り場を過ぎてやってきたのは冷凍食品売り場。焼きそばは冷凍食品の物で、広い冷凍食品売り場を探し始める。あまり寒くはないのだが、冷された水蒸気でメガネが曇るのが大変だった。めがねをはずして探していく。
どれだけ探しても同じ物が見つからなかった。仕方なし二スーパーを出ようとすると、大学の友人たちにあった。そこで、「大学に入学したのは高校三年の夏休み前だから、夏休みが終わったらまだ高校の授業があるよな?」という質問をした。友人はちょっと悩んでいた。で、改めてパッケージを見ると、中に何かが入っていた。パッケージの中を見てみると、僕宛の年賀状が二枚入っていて、納得してやきそばのパッケージはゴミ箱に捨てた。
外はずいぶんと暗くなっていた。空は藍色になっていて、スーパー前の通路も暗い。と、タイルの床でずいぶんと滑った。見ればタイルはピカピカのつるつるで、僕の靴はずいぶんと磨り減ってこちらもつるつるになっていた。とりあえず、滑りながら正門に行く事にする。もう帰らなきゃ。
ビルの通路はかなり変形していた。カーブがあり、とんでもない隆起があり、気をつけないと骨折しそうな段差が出現しており、すべる靴で気を付けながら進んでいった。
そして、出口付近で従兄弟に会い、従兄弟に誘導されてビルの出口から出た。と思ったら、その出口は正門方向への出口ではなく、ビルの西へと出る出口だった。そっちには何もない、ただ暗くなった空があるばかりの空間だった。僕も三十二歳なんだな、と唐突に思った。ビルの横を通って正門へと向かう事にする。ビルの横の原っぱをあるいて正門へ向かい、空を見上げた。空には地球のような大陸を持った、野球ボールぐらいの大きさの天体が浮かんでいるのが見え、僕はその真下を通った。正門の方向の空には白く輝く太陽があり、その太陽にはぐるりと円になっている虹が出ていた。多くの人がそれを見て驚いていた。さらに歩いていくとまた地球のような天体があり、白い太陽の虹は消え、歩いていけばやがては白い太陽が僕の真上まで来て通り過ぎていった。まるで宇宙でもなんでもない、ほんの少し高いところに浮かんでいるだけの白色ダイオードのようだった。やがて正門にたどり着き、そこでお母さんに呼ばれたがして――目が覚めた。
現実は、僕は高校生でも大学生でもなく、すでにそこを卒業してしまった社会人だった。ついでに三十二歳でもなく二十三歳だった。現実を認識して思ったのは、「僕はまだ子供だな」ということで、実際には小学生の時の友達であった夢の中の高校生の友人の一人の事を思い出しつつ、あのころに戻りたいんだろうかと自問自答したが、答えがどうであれどうしようもないのが現実だった。
今回の夢で印象深いのは、何もない場所にある広場と建物、原色パレード隊、高校時代の友人、とても広いスーパー、冷凍食品売り場、友人からの年賀状、磨り減った靴、唐突に三十二歳だと思ったこと、二つの地球のような天体、円になった虹、白い太陽、最後のお母さんの呼び声。最後のは単に現実で起こされただけという気もする。あとで呼んだかどうか聞いておこう。最初から最後まで覚えている夢は久しぶりだな。
……別に呼んでないらしい。つー事は、夢の中で呼ばれたのか。 [◆]正常なる精神とは?
いやー、今日は良く寝た。昨日の午後十一時に寝て午前十時半に起きた。ちなみに二度寝である。上記の夢は二度寝の最中に見たもので、一度目の覚醒は目覚ましに起こされた七時だった。午後十一時に寝ても自然覚醒まで行かないということは、もっと早くに寝ないといけないと言うことか。それはさておいて、十分な睡眠をとって頭の回転も自己診断であるがかなり良好だ。うむー、午前はずいぶんと潰れたが、まあ特に支障はないだろう。久しぶりに朝食もまともに摂れたしね。
さて、十分に気力があると判断したところでこの状態を維持するためにはどうしたらいいかを考えてみる。最近、僕の日記を呼んでくれている人からは「気が滅入ってるんじゃないか」と良く言われるので、なるべくこの状態を維持したいところだ。まあ、短絡に考えると夜は遊ばず早く寝ろって事になるんだろうけれども。果たして、それでいいのだろうか。
最近、めっきり遊ぶ事が少なくなったように思う。遊ぶだけの気力が湧き難くなって来た。若いうちからこんな調子でいいんだろうか、と思う分、おそらく遊ばなくなったと言うのは精神的にあまりいい兆候ではないんだろう。遊ばなくなったと言うのは、外に出歩かなくなったということでもある。会社に入社当初は土日になったら街に遊びに行っていたものだが、最近はまったく行かずに家でだらだらパソコンをいじっている。性欲も感じなくなって下ネタとかを良く送ってくる友人が羨ましいものだ。元気そうで。生活が私生活から会社中心になり始めていて、自分の時間がなくなった。寝ているか飯食ってるか会社で仕事しているかしかない。自分の時間と言ったら通勤時間しかないが、ぎゅうぎゅう詰めの電車の中で何をするでもなく、ただ駅に着くのを待っているだけの状態。音楽を聴くのがいいところだ。ただ、帰りの時は時間帯によってすいているときがあるので、その時はC言語の勉強をしていた。教本は大体読み終わったので、次は実際にプログラムを組まなくてはならない。Cプログラムをある程度作れるようになったら次はSQLに進み、そしてC++と言うところか。プログラムを実際に組むためにはコンピューターが必要になるので電車内ではできない。しばらくは通勤時間は溜まってるライトのベルを読む事にしよう。
遊ぶ気が無くなったのは仕事をする上ではメリットになるが、僕個人としてはデメリット以外の何者でもない。遊びを含まないものはすべからく単なる作業であり、技術面は向上するかもしれないが僕個人の成長に効果的な成長を与える物ではない。時間の無駄を感じてしまっては元も子もない。長続きはするまい。
この辺り、僕のお母さんから言わせれば「会社の歯車だから」の一言で片付いてしまう。僕自身が楽しかろうが楽しくなかろうが、会社を大きくするための要素でしかないわけだ。駒として生きるのがいいなら別にそれはそれでいいのだろうが、僕は駒として生きる気はない。やりたい事をやってこそ、生まれてきた甲斐があると言うもの、大抵の人は同じだと思うのだがそれを圧し込めてしまう圧力が存在するから駒にならざるを得ないわけだ。駒として生きたくなかったら、まずはこの圧力を取り除く方法を模索しなくてはならない。
大抵、会社の駒として生きなくてはならない状態にされるのは、そうでなければ食料の確保と水の確保と住居の確保が難しいからだ。これを何とかすれば、生きるだけならば何とかなる。そこからさらに人間らしい生活を得るには最低でも電気と通信網が必要。細かいところを言えば、日本国内なら税金とか必要なんだろう。税金関連で悩ましいのが土地にかかる税金であるが、この辺りは土地代が安いところであれば安くなるはずなので、自然と住む場所は人里離れた田舎になる。電気は届いても通信ができるかどうかは微妙なところ。一般用ではない専用回線がいるかも分からんね。
これだけの条件を満たすには生半可な覚悟では到底無理だろう。少なくとも、これまでの人生で得てきた古い荷物や娯楽は捨てる必要がある。小説の資料になるからと残してきた資料とかは全部捨てようかなぁ。ゲームの攻略ほんとかもういらんし。ついでにおもちゃとかキーホルダーとかも捨てるかな。本棚がいっぱいで本がもう入らないんだー!
つーか、大学に入る前から持っていて、大学に在学していた間、一度も見開きしなかった本とか、正直いらないような気がする。大学の願書とか、別に大学はいらないにしても得る事は可能だ。ずっと持っている必要があるのだろうか。高校の教科書とかは時代の流れで変わってしまうとは言え、手いれる事はできる……かな? ちょっとこれは持っといた方がいいような気がするな……。予備校の野外活動のチラシとか捨てておいてもいいような気がする。
読んでない漫画とかを売ってもいい気がするし……ライトノベルは残しておきたいなぁ。ベッドの下にほうり込んでおこう。また整理して。入れる箱がないのがつらいところだが……。
話が脱線した。正常なる精神の話だ。
正直、この睡眠時間十分な状態の精神を維持し続ける事は無理だと思う。平日になれば残業が続いて家に帰るのが遅くなり、睡眠時間をきっちりとる事は難しくなるだろう。仕事を続ける限り、これはどうしようもない状態だ。まったく、仕事中心の生活って言うのは精神に毒だな。仕事が本当に僕のやりたい事で、半ば生活の中心としてどうかできるぐらいだったらよかったのだが、僕がやりたい事を具現化している会社なんて存在しない。なんともすれば、金をもうけない企業なんて言うものは存在しないからだ。バイオ関連で新しい食料を開発している企業は聞いた事があっても、自分のところだけで食料を自給自足しようという会社なんて聞いた事がない。労働時間が五時間程度なんて企業、存在するの?
それらを具体化している会社でなければ、僕の精神をまともに保つことは不可能だろう。とんだ夢物語だ。そして、とんだ夢物語であるからこそ、実現し甲斐があると言うもの。もしも今僕がこれを語り、この状態を気か滅入っていると言うならば、おそらくはそもそも前提を間違えているのだと思う。そうした組織を作ると明言しているときこそ、僕の精神は正常であると僕は断言する。
今の社会は僕の個人特製にほとんど合致していない。社会に合わせれば僕の精神は不正常になる。社会が絶対に正しいならば、社会に合わせた不正常状態こそを僕の正常と見なしたほうがいいだろう。僕は元から気が滅入っている人間だと。
で、気が滅入るのは嫌なので、何とかしなくてはならない。本当に水面下で行動しなくてはならない。今の会社は間に合わせでしかないのだが、間に合わせでなくなったとき、僕は自分の精神を正常に保つ機会を永久に失うだろう。ま、やろうとしている事があほみたいにでかい。普通の人はやりたいと思っても実行しようとは思わないぐらいに。親に話せば本気で馬鹿にされるぐらいに。今の社会に適合した人には意味が分からず、とにかく否定されるぐらいに。
既存社会を陳腐化してやる。時代遅れにしてやる。捨ててやる。
そうでなければやってられん。うつ病になりましたーと簡単に言えりゃーいいが、うつ病になりそうもないので本当に変調を来たす前に何とかしなければ。
僕は何のために生まれ、何のために死ぬのか? この疑問に確たる答えを出さなければならない。出せなければ、死んでも死に切れん。 |
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