一月 八日、火曜日の話
久々に友人にばったり会った

 会社から帰る途中、ばったり高校時代の友人に会いました。

[◆]ああ、ばったり

 それは僕が会社から久々に一、二時間ほど早く(この場合、午後八時ごろに会社を出た事をさす)会社を出たときの事でした。本日は早く帰りたい早く帰りたいと思いながら、なぜか自分の作ったプログラムがまともに動くか不安で溜まらず、とめどなく動作チェックをしていたらとんでもないバグを見つけて、その問題を引き起こす行動をとっている人がまだ一人もいないことを確認、すぐに修正してほっと一息して帰る事が出来ました。分かり難く言えば、SQL において WHERE 条件に必要な条件を書き込むのを忘れて、まともなリストが出なくなっていたと言う。最近は「ちゃんとチェックしろ」と二方向ぐらいから言われ続けていて、このバグが先に他の人に見つけられていたならばいよいよもって依頼退職かとも言うところでした。喜んで辞表を書いてしまいそうです。うおー俺に睡眠をとらせろー。

 で、ほっと一息ついて電車に乗り込み、お気に入りの音楽を聞きながらメディアワークス出版電撃文庫「学園キノ」を読み終えてC言語の勉強を始めようとしていたときの事でした。ちなみに、C言語の教本は読んでいるだけでプログラムを実際に作っていないため、練習問題とか理解度チェックとかちんぷんかんぷんです。最後まで一通り読んだあとにプログラムの練習問題をする事にします。まずは何ができるのかを知りたい。「学園キノ」を片付けたとき、電車がとある駅に着いて扉が開いたと思ったら、乗り込んできたのが高校時代の友人で思わず噴いた。何でこんなところで会うのか。僕も引越しを手伝った彼の引越し先はその駅よりも六駅も手前であり、進行方向は彼の家からはなれる方向。聞いてみれば今日は実家に用があるとの事で、京都に戻るとの事でした。ちなみに現在地は大阪。

 久々に直接あったという事で、彼の生活や仕事についてちょこちょこと話を聞き、僕の生活や仕事についてちょこちょこと話しました。彼は僕の日記を読んでくれているようで、「最近、マイナスな日記ばかりだなぁ」と言われて自分の日記を振り返ってみんとす。まあ、明るい話題は書いていないような気がする。実際に明るい話題なんてないし。そりゃーもー、体重も一年前と比べて2kgも減りました。運動もさしてしない仕事なのに、太るのなら分かるもなんで痩せるんだか。これでも以前よりはかなりの量を食ってるんだぜ! つまりは以前よりも消化器系の吸収力が落ちているってことだな! もう年だなー。

 彼は最近、学校教師や教育委員会の人が集まるフォーラムに参加しているらしい(ネット会議ではなく、生の会合である)。そこで前回、「“教える”とはどういうことか」という議題について数人と話し合ったそうだ。で、彼はこの議題の意味を間違えたそうだ。議題の正確な意味は「教えるにあたっての教える側の人間の姿勢とは何か」ということだったらしい。それを彼は「“教える”という行為は何のために行われるものなのか」というものだと思ったらしい。僕だって「“教える”とはどういうことか」なんていわれたら後者の意味だと思うよ。人間の姿勢なんてあとからついてくるものだろう。労働条件とかクレーム処理法について考えても有意義とは思えない。いやま、最近はモンスターペアレントと呼称されるような非常識な親が増えているそうなのであるが。昔の常識はもはや崩れたな。

 さて、「“教える”とはどういうことか」という質問を投げられて、僕ならどう答えるかを考えてみると、「時間の省略、および苦しみを与える事」とでも答える事になりそうだ。ものを教えるというのは、その昔の天才たちが見つけ出したあらゆる事象を簡単に説明する方法を、発見から形にするまでの過程を省略して次世代の人に理解させることである。これにより、天才でなければ見つけられなかった事象を陳腐化して、つまりは土台にしてさらにうえの新しい事象を発見する。それが教えるという行為である。今の若い人に三角比はなぜあの比率なのかを説明できる人は少ないだろう。形を見ればすぐに納得できそうではあるが、どういう過程を経て三角比が発見されたのか、それを説明できますか? 三角比でなくても、微分でも積分でも地有力や引力、地動説やダイナマイトの作り方でもいいけれども、それらを目の前にして平然としていられるのは教育により、それらの偉大な発見が陳腐化されているからである。「そんなの誰でも知っている」っていうのは、実はものすごい事なんだってことを理解している人はどれぐらいるかねー。僕もさっきまでそれが当たり前だと思っていたから理解してなかったぞ。苦しみを与えるというのは、人間、楽からは何も学べない、苦労から物を学んで楽になる方法を見つけるのであるというライトノベル作家からの受け売りであるが、真実なので流用させていただいています。詳しくは集英社スーパーダッシュ文庫「紅」−醜悪祭(上)−をどうぞ。このシリーズの作家さんである片山氏はそこそこ面白い考えを書いているので読んでみるといいかも。まあ、中間試験や期末試験や受験の時は皆、苦しかっただろ? 勉強はきついよねぇ、しっかりやれ。

 まあ、当たり前だと思っていることも改めて問い直せば難しい物で。

 さて、そんなこんなで彼と語っているうちに目的の地元の駅について彼と別れました。また今度に彼の新居の住所を教えてくれるそうで、これで来年の年賀状は困らずに済みそうです。

[◆]世界群歩行者達の姿を明文化したい

 世界群歩行者達とはどう言うものか。僕がどのような姿を見ているか。それを説明できなければ仲間を募る事は難しい。世界群歩行者達の姿を中途半端な姿のままにしておけば、仲間となってくれた人は僕という人間に対してのみ、信頼を寄せなくてはならなくなってしまう。そもそも僕自身がそんなに魅力的な人間かと問われれば魅力的ではあるまい。現時点で仲間とも言える人が五本の指で足りてしまえるような状態では実績はないと言っていいかもしれない。ごめん。

 と、いうわけで世界群歩行者達の姿を明文化しようと思っている。いっそのこと、単体サイトとしてつくろうかと画策中で、しかし中身はまだこれっぽっちも作っていない。早く書かないとなぁ。日記書いてる場合じゃないかもしれん……。