十二月二二日、土曜日の話
性欲か誇りか

 出来れば誇りを取りたいところではあるが……。

[◆]性欲か誇りか

 最近エロい日記ばかり書いている気がする。それだけ僕の関心が高まっており、かつ恥を感じる感覚が失われてきているという事なのかもしれない。で、これから書く文は恥であるが、下世話であっても書いておきたいので書くことにする。

 思ったのだが、エロ本やエロ画像やエロゲーと言うものは、主役は誰かと言ったら女の人である。そりゃあもうエロい事になっている女の人であって、男が主役である事はめったにない。ていうか、目的からして男が主役になる事はないだろう。女性ありきのその世界では。エロゲーになると建前上は主人公は男って事になっているが、目玉のイラストで主人公までまともに描かれている事はあまりない。つまり、エロ本やエロ画像やエロゲーに出てくる男は、その全てが道具の立場でしかない。ただ腰を振って白い液体を出せばいいと思われている、ただの道具に過ぎない。

 男としてただの道具でしかないというのは正直、悲しいのではないだろうか。少なくとも僕は単なる道具扱いをされたいとは思わない。男女の仲を作るならば、男は自身が認めた女を愛し、女は自身が認めた男を愛するのが最もすばらしい形だ。現在の社会の中じゃ、こうした形は難しい部類に入るだろう。あまりにも壊れすぎていると思われるのである。ある意味で、エロ本やエロ画像やエロゲーで、男が人間扱いされていなくても満足出来てしまう現実の男にも問題があるのだろう。それを受け入れたのは他ならない消費者としての、男である。

 単なる道具として男が描かれている事を喜んでいいのだろうか。とりあえず僕は、そんなのは許容出来ないし、満足できない。せめても人間として女性と付き会いたいのである。

 と、いうことで、エロ本やエロ画像やエロゲーを前にしても、肉体的興奮はあっても精神的にはつまらなくなってしまった。これでいいはずがない。では、どうするべきか。男が人間として女と付き会うためには?

 んなもの、男は自身が認めた女を愛し、女は自身が認めた男を愛することである。ひたすらに、それしかない。二次元の女の子はいつまで経ってもこちらを認めてくれる事はない。二次元の女の子に擦り寄るのは、ほとんど死体に擦り寄っているものと変わりないように思う。

 ま、気長に探すことにしよう。僕のような変わり者に付き会ってくれる人は男であっても女で会っても、なっかなかいないしね。