十月月一八日、火曜日の裏話
エロについて

 まるまるページを取っての考察です。

[◆]最近のエロ事情

 なんか、セレビッチっていう女性向け雑誌が日本において創刊されたらしいが、ビッチってそんなにいい言葉だったか? 一体、どんな妄想を交えたらそんな単語を雑誌名に組み込もうという気になったのだろう。日本の若い女性たちは風俗嬢になりたいという意識があるとでも思われたんだろうか。フェミニストたちの出番だと思うのだがどうだろう。どう考えても間違った方向に迷走しているように思えて仕方ない。

 「女性向け雑誌」の迷走ぶりは、今に始まったことではない。実のところ、エロ知識に触れる機会は男よか女の子の方が早い。最近じゃ女の子用の漫画雑誌にも性行為やレイプ描写があったりするし(当時小学生だった従妹の読んでた漫画を見てびっくりした)、今とても売れている「らしい」ケータイ小説、「恋空」なんかはセックスとレイプのオンパレードらしいし(まだ読んでない。読もうとして一話目の終わりで続きに興味無くして放置。今度、気合出して読もうと思います。読まずして批評は出せない)、ネットなんかじゃ、まあそりゃ一部の極端な例しか出てこないけれども図解入りで「男の悦ぶフェラの仕方」なんて特集ページが中高生女性向け雑誌で出た日には騒然とするよ。

 単発系のエロ(写真やイラストなど)については、確かに男の方がエロイかもしれない(というよか、どっちかというと男は弾撃ちゃ当たる方式が有効なため、とにかく量が出る。個々人によって微妙に好みが違うから)。しかし、知識的なことについては女の方が上である、間違いなく。体の構造上、どうしたって受け身にならざるを得ないのでそれは正しいけれども(たとえSMの女王様であっても注ぎ込まれたら受け身に転じざるを得ない)。

 さて、最初の話に戻るがセレビッチ。雑誌側の意味としては「お金持ちで気が強い女」という意味で「男なんかに負けない強い女」のことらしい。これは説明されなければまず通じまい。英語圏じゃ説明もさせてもらえないかもしれない。どうせもうネットじゃ話が盛り上がってるだろうし、これでまた一つ日本女性の気品が落とされたことになるだろう。ビッチの綴りが「bich」であると言っても無駄である。男の品位低下も大概だが、女の品位低下も大概だねぇ。男の性犯罪者は被害者のこともそうだし、男の品位に泥を塗ったというだけで処刑していいと思うのだが、女側もなんか対策してくれ。そっちは女性に任すから。

[◆]変わりゆくフェチ心

 女のフェチ心はボーイズラブしか分からない。ので、男側のフェチについてみておこう。

 最近、エロゲーや個人サイトのエロイラストで変だなと思うのが、足コキというフェチジャンルである。足で性器を揉んでもらうのが最近のはやりらしい。僕に経験がないせいなのか、いま一つ分からない。だいたい、セックスと言うのは別に男だけが精液出せばいいわけでもあるまいに、ていうかそんなことで精液出してたら本番行為ができない男が多いような気がする。実際の経験がないので何とも言えないのだが、そんなに何回もできるもんなの? エロゲーなんかこの点に関しては当てにも何にもならないのであるが(体液の量は大抵は完全に無視される)、どう考えても搾り取られていて次の日は疲労困憊しているような気がしてならない。

 いや、そんなことはどうでもいい。過去のフェチを手繰ってみると、普通のセックスから緊縛でSMで、フェラチオと続いてパイズリでコスプレでアナルセックスと来て今は足コキである。きっと、この他多くのフェチがあるに違いないが、さして興味が湧かないので検索もしない。

 最近はなんか、抜ければそれでいいというような風潮が漂っていて、それが現実世界にも蔓延しているような気がする。セックスが単なる遊びにまで落ちた理由としては、見せかけの豊かさが後押ししているのであろう。つまり、親が自分たちを育てるのにどれだけ苦労しているかを知らない世代の台頭である。この手の世代は子供ができることに関して責任感が薄いと思われる。だから子供がポイポイと捨てられて赤ちゃんポストなんて間抜けなものができるんじゃなかろうか。うむむ。やっぱ間抜けだ。

 さて、「子供は愛の結晶である」と言われて笑わない人がどれだけいることだろう。愛の結晶以外の何物でもないはずが、ただのお荷物として認識している人間が増え始めているのは嘆かわしいことである。そりゃ、昔から子供をわずらわしく思っていた人はいただろう。しかし、今は平然と親が子を殺す事件が起きている。それに比例して、子が親を殺す事件も出始めている。子は親を見て育つから、結局は親世代がおかしくなっているという事なんだろう。安易な快楽でセックスをするからだ。殺し合いが始まるぐらいならセックスをしないほうが少しはましである。

 で、フェチのほうであるが、どうにも子作りからは離れたところに重きを置いている場合が多い。子供を作らずに快楽のみを享受しようとする動きでもあるのか、精液を女性に注ぎ込まないものが多くなっている気がする。本来の性欲からもかけ離れているような、「溜まる物は仕方ないからひとまず抜いておこう」という考えがあるようだ。現代においてはそれがある意味での自衛なのであろうが、何か味気ないものである。

[◆]心から愛し合うことが解決策

 心から愛し合うと言うとなんだか宗教がかっているような気もするが、何にしろこれが一番だろう。心から愛し合う、と言うのは心から協力し合うことでもある。これが今の時代、どれだけ難しいことか。あらゆるものが人々が愛し合うことを邪魔するようになってから、社会の質は低下する一方だ。おそらくは便利になりすぎたのと、人間そのものが増えすぎたのが理由。まあ、人間が増えすぎたからこそ、戦争が起きるんだけれども。どんな理由をつけても所詮は口減らしに過ぎない。平和は人が少ないときにこそ実現する。より多くの人が平和に愛し合い、というのは開拓時代の話であってどこに行くにも人に当たるようではなかなか難しい。

 心から愛し合って子供を作り、子供を心から愛せばその子供は優秀な人間になるだろう。子供を愛さなければ、子供は粗悪な大人になるだろう。至極単純ながらも難しい。今、本当に心から愛せる人に出会えているのは何人ぐらいいるだろうか。日本じゃ少数派だろうって気がするよ。

 粗悪な子供が出来るぐらいならば、と実在しない絵にかいた女の子で我慢するのも次善の策であるとは思う。種として存続できないし、数が減りすぎれば民族――国が崩壊して、日本の場合は中国あたりにのっとられるかもしれないが、その時はその時しかあるまい。この世に神はいない。

 途中で間を開けてしまったために最初に書いてき始めたころの塩飽を忘れてしまってちょっと方向がぐらついてきたので、ひとまずここで終了。とりあえず、言いたかった事は、愛の失われた世界はつまらないってことだな。なんにしろ。