十二月 一日、土曜日の話
家で日記書くのも久しぶり

 平日はもはやサボる時間も見つからん……。

[◆]知っているか、知っていないか、それだけであらゆる事象が変化する

 最近は午前一時まで起きている事も多くなり、次の日には遅刻ぎりぎりの七時四〇分までベッドにいることも多くなって遅刻するか遅刻しないかの境を走り抜けています。駄目だ、眠くなかろうとも零時にはすぐに寝ないと次の仕事の能率が低下すると言うのに……だって、零時に寝ようと思ったら風呂に入れないんだもん。遊ばなきゃいいんだろうが、遊びを捨てられるほど人生諦めてないし。むしろ、如何に遊べるかが人生に潤いをもたらすと思うのだがどうだろう。遊べないようじゃ、人生を捨てたようなものだ。

 世にいう成功者とか経営者っていうのは、当人の遊びが仕事そのものの事をさしていて遊んでいるだけで社会的成功を収めた人が大半だと思うのだが、成功者と呼ばれない人はその大半が、遊び=仕事ではないということだと思う。そして、僕も遊び=仕事ではない。ゆえに僕は永遠に成功者にならないし、問題なのは興味もわかないということだ。僕のやりたい事は別にある。社会的に成功しても僕の目的ではない。

 そんなことは余談で、最近の話である。どうにも仕事の能率が上がらない。理由は先ほどにも書いたとおり睡眠不足が理由で、仕事をしていても半分頭は寝てる。三〇分の仕事に一時間かかる。自分で作ったプログラムが何をしているプログラムなのか、すぐに思い出せなかったりする。そんなときはさっさと帰りたいのだが、プログラムが出来ていなかったら帰ることも出来ない。ソフトウェア開発っていうのは、時間制には本気で向いていない職種だなぁ。納期を気にしていたら出来るもんも出来ないって事なんだろう。賢い人間が就くべき職種だよ、ほんと。その割りには待遇悪いけれども。

 仕事をする上での最低限の知識が僕に備わっていないのである。これ、もう日記に何回も書いているような気がするが、慢性的に思っているんだからこの仕事を続ける以上は常に日記に書き続ける事になるだろう。仕事をしている中で勉強出来るなんていうのはすでにプログラムの構造が分かっている人間の戯言で、実際にはほとんど吸収出来ない。吸収出来ないって事は仕事に応用出来ないって事でいつまで経ってもプログラムが完成しない。自分が使っているプログラムの事が分かってないんだぜ? 手に持っている道具をどうやって使うのか分かってない人間が仕事をしようとしても、手間取るの事なんか目に見えている。その道具が単純なもので、一回使い方が分かればすべての事が出来るようになるのであればいいが、プログラムは一回わかれば……というような単純な物ではない。出来る事が複雑かつ多すぎて一つプログラムが出来たからと言って何でも作れるようになるかと言えばそんな事はこれっぽっちもない。でもって、違う種類のプログラムが三つも四つも渡されたら悲鳴を上げたくもなる。

 とにかく、もう定時には帰って遊べて風呂に入れて華族と過ごせてゆったり寝れる環境が欲しいところ。こんな環境、きっと今の日本の中じゃフリーターじゃなきゃ無理だ。まあ、正社員環境が嫌だって言うならフリーターしかないじゃない、って事なんだが。

 何とか稼げたらいいんだが……。

[◆]最近の個人作成の歌がなかなかいい

 最近、個人作成の歌がおおはやりである。大抵がネタ系であったりするのだが、聞き応えのある出来でなかなか面白い。

 最近、巷で人気なのが「エアーマンが倒せない」。かの有名なニコニコ動画にて公開された個人作成、ロックマンを題材にしたファミコン世代にとっては思い出深い歌である。もしもロックマン、エアーマンを知っている人がいたら、下記の動画を見てみるといいだろう。


 これは非常に有名な歌である。なんでも今度、カラオケで歌えるようになるらしい。替え歌もなかなか面白いもの悲惨なもの等々聞き応えがある。「エロゲーが終わらない」は凝ってて好きなのであるが、公序良俗に反するためここでの紹介は見送り。「つらい現実が倒せない1,2,3」もニートの気持ちを表していて割りと好きである。がんばろう。

 また、個人的にはこっちの歌も好き。

 歌詞は二番もあるようなのだけれど、初音ミクのやつしかなかった。むぅ。