八月一二日、日曜日の話 [◆]企業は儲けなければならないのか
「企業は、お金を得なくてはならない」 最近は、この文言に疑問を覚えている。企業は本当に、お金を得なくてはならないのだろうか。 当たり前の話だ。企業はお金を得るものとして存在している。他の企業、他の人間達が欲しがるものを作り、その評価としてお金を得る。大金を得るということはそれだけ多く大きく評価を得たということで、つまりは社会の役に立ったということなのだろう。企業とは、社会の役に立つために存在している。 そこまではいいのだが、代わりに企業に属する人間達が潰されていく。社会から評価を得るために多大な時間を企業に吸い取られ、公のためだと私を殺す。人間がより過ごし易くするために、人間が殺されていく。おかしいものだ。そうなってしまうのは、企業という実態無き物をより高位の物にしようとするからで、そのためには人間を犠牲にしなくてはならないからだと思う。つまり、人間を犠牲にしなくては現代で言うところの「豊かな社会」というのは形成されないわけだ。その昔、土に吸われていた汗は今はアスファルトの上に落ち、リノリウムの床の上に落ちるようになったわけだが、人間としてどちらのほうが豊かなのだろうか。 「知りすぎた」現代の人間は、すでに得た利益を捨てることは出来ないだろう。しかし、企業に潰されて人生を終えるのはいささか口惜しい。企業は儲けなければならない。結構! だが、協力してやる必要はないと思う。何をやるにも、生きるのにすらもお金が必要なこの社会は、僕には合わない。 現在の社会から逃げるか、闘う必要がある。押し退ける必要がある。現在の社会から逃げるのは簡単。自殺すること。今の世界が必要ならないならば、捨てればよい。社会と闘うためには、ほぼ新しい社会を自ら作り出す必要がある。ほとんど独立戦争を起こさなければならないほどになるだろう。現社会から影響を受けないようにするために、あらゆる要求を撥ね付ける必要がある。それは土地を得たあと、現社会的要因をすべて排除しなくてはならないという意味である。資源補給もエネルギー供給も全部自前にしなければならない。土地はひとつの県ぐらいはなければならないだろう。 ……その辺りから考えると、現在の社会そのものを乗っ取ったほうが簡単なような気もする。クーデターか? どちらにしろ、現在の社会が気に食わなければ殺し合いが起きる可能性がある。……やっぱ、自分が死んだほうが早いかもしれん。 んー。殺し合いを回避する方法としては、手法を変える必要がある。真っ向からやるのではなく。独立うんぬんは政府が関わっていることで、ここを何とかしなくてはならないわけだ。「現在の政府を孤立させることは可能か?」。ここがポイントになるだろう。 あー、金を稼ぐためとはいえ、働かせすぎなんだよ。給料を変えず、一日の労働時間を五時間にしやがれ。残業を禁止しろ。労働力を分散させるな、一箇所にまとめろ。まともに働くどころか生き残りで必死になっている企業が多すぎんだよ。 企業のために無駄にしている時間が多すぎるんだよ。そんなに経費削減がしたいのか。うれしいことなのか。経費削減のために、人件費削減だと、企業が儲けるために人間を犠牲にするのか。 人間を犠牲にするのか。 人間が犠牲になるのか。 人間は犠牲になるのか。 企業のために? くそくらえだ。 自由に使える土地の溢れた、別世界にでも行けたらいいのだが。 |
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