五月三〇日、水曜日の話
昨日のナイフの件は未遂

 結局のところ、痛くてナイフを突き立てられなかった。

[◆]ナイフを突き立てて、何を手に入れたかったのか

 結局、昨日は手にナイフの切っ先を押しあて、多少血がにじんだところまで進んで痛いのと力を入れても突き刺さらない手の皮膚の強さに笑いがこみあげてきて、止めてしまった。やるっと言っていた割にはやらなかったわけで、自分から逃げてしまったようにも思うがそのあと、イチノイカズイ殿に人生で初めて単なるおしゃべりのための電話をしたのでずいぶん気が楽になった。それにしても、夜に男に電話を掛けたりメールをしたり、イチノイガズイ殿は女に生まれたかったと都度に言うが女でないのが僕にも残念でならない。

 電話が終わった後、血に染まらなかった紙束の大を片づけ、血に染まる事のなかった鏡を片づけ、結局大して血まみれにならなかったナイフを片づけた。このナイフが血に染まっていたら、自分の血を吸ったナイフでサラミとかを切って食べることになっていたのだろうか。んー、まぁ、それはそれで問題ないか。今後もサラミを食べる時に活躍してもらおう。で、実はビデオ撮影していたのであるが、それを眺めてみると何とも演技じみた光景であることか。ところどころに自分のつぶやきが入っているが、まるで演技をしているかのようだ。震えているナイフなんか、今となっては動画を見る人間に見せつけているようにしか見えない。ま、全部演技と成り下がったのではあるが。

 四ヶ所ほど穴の開いた左手を見つつ、はたして僕は何を手に入れたかったのであろうか、と黙考する。手にナイフを突き立てた結果、おそらくは僕は多くのものを失う。そして、僕はそこに何かを入れたかった。僕は不甲斐無いただの人間なので、何も失わずに新しいものを手に入れることはできない。何かを失ってから、手に入れるしかない。まさしく、自分の部屋と同じ状況だな。

 最初は、痛みを知らなければならないと考えていた。本当の痛みを知り、子供から男にならねばならない。まあ、所詮はこれは女を意識してのことに過ぎないのだろう、つまり、子供ではなく“女”と出会うためには、それに釣り合う“男”でなければならない。最近の若者は男や女でなく、単なる“子供”のように見えて仕方ないのだ。最近は“子供”のまま二十歳三十歳になる人が多いようなので困る。が、今となってはなんだかなーな方法だと思う。後述する。

 ……ストレス、と言えばそうなのかもしれない。ストレスを開放し、また同じストレスを受けないようにするための方法がナイフを手に突き立てることだった。何からストレスを受けているのだろうか。今となっては少し見えてきてはいるのだが。

 おそらくはこの、金がないと生きていけない社会から逃げたかったのだ。気違いと言われようとも精神病患者と言われようとも、金を得るために自分が好きでもないことをやるこの社会から、逃げたかったのだ。生活のため、生活のため、生活のため。生きているだけで金を取られるこの社会は一体何なのだ? 存在するために金が必要なこの社会は一体何なのだ? 自殺者が多いのもわかる気がする。ちなみに、学生以下が自殺するのは、大人が割に合わないお金を要求されるように、割に合わない能力を要求されるからだ。それが適応能力であれ、学力であれ。

 生きるには割が合わない社会がここにある。なんでこんな風になるのかと言えば、現社会が割に合っていると感じる連中が社会を形作っているからだろう。要するに、一部の人間に都合のいい社会になっているのである。大半の人間には都合が悪いのだが、それはほとんどの場合において無視されている。やってらんね。そういう域になると、「考えている」から「考えてやっている」の域なんだろーな。

 ちなみに、最近はもう政治家連中が社会を動かしているとは考えていない。あんなアホどもにこの社会が作れるかぁ。受け狙いで政策やってて討論やってて、あんなんで一応、ここまでの社会が出来上がってたら、日本人の打たれ強さと賢さに感涙するよ。政治家ではなく、そこに生きる人々が働いてきた、というわけで。

 今の政府は正直、いらん。余計なことまでやりすぎなんだよ、デブが。まあ、その話はまた後述しよう。ナイフの話に戻る。

 ナイフを突き立てた結果、僕は気違いとして社会的信用をある程度、失ったことだろう。仕事も辞めていたかもしれない。再就職も厳しい。代わりに誰からも強制を受けず、それなりの自由を手に入れることができただろう。それを契機に、旅に出ていたかもしれない。と、いうわけで、ナイフを突き立てようとした理由は……僕にどうしようもない問題がある、という理由で仕事を辞めたかったのかもしれない。

 こうして定住のためにコンピューターと書類に振り回され、好きでもない社会のために税金を支払う。それならいっそのこと、家を持たずにぶらついて、適当に一日仕事をし、殺されたり野たれ死んだほうがましなのではないか。コンピューターどころかまともな娯楽だってない。金がなくなればその辺の草でも食べて、動けなくなったら死ぬ。その前に暴力沙汰に巻き込まれて死ぬかもしれないし、人攫いにでもあってどっかに売り飛ばされるかもしれない。しかし、そんな中を歩いて行くほうが僕の性にあっているのではないか。帰るところもなく、ただただ進むのみ。

 そうやって生きるのも悪くないかもしれない。もしもそうしたことができるのであれば、ノートを持って伝記でも書くことにしよう。鉛筆で書き続けることにしよう。

[◆]子供から男へ、女へ

 大人になるのは簡単なことなのであるが、本当の男、本当の女になるにはそれなりの資格がいるように思う。実のところ、体は男でも女として生きたり、体は女でも男として生きることは可能だ。これは精神の形、つまりは魂とも言うべきものの話だからだ。

 体つきで男、女を分けるのは簡単だが、魂で男、女を分けるのは難しい。生殖能力に頼らないそれについて区別するには、魂を男なら男、女なら女と造形する必要があるだろう。僕は自分の魂を男たらしめるために、本当の痛みを知る必要があると感じた。それを知らなければ、“女”の前に立てないような気がしたのである。“女”を求めるならば、“男”になる必要がある。はたして、俺は“男”なのだろうか。まだ“子供”なのではないか。

 ナイフを突き立てようとしたことで、まあ実際に突き立てられなかったのでほぼ現状維持になってしまったが、とりあえず気がついたことがある。

 本当の痛みを知れば“男”になるのではない。本当の痛みを知っているにもかかわらず、危機的状況に立ち向かえるかどうか。そこにこそ“男”の真価があるように思う、が、なかなか危機的状況ってのがね……最近増えてきたから、悲しいやら嬉しいやら。

 危機的状況に出会ったら、看過せずに対処できるかどうか。その時にこそ、“男”かどうか試されるのであろう、な。

[◆]今の政府はデブである

 デブという表現はこの場合、肥え太っているという意味とはちょっと違う。横幅が広すぎるという意味だ。政府はやらんでもいいことをやろうとしすぎて、国民から反感を買っているように思う。国民年金もそうだし、著作権もそう。国民年金なんざ政府でやらず、地域に任せることができるだろう。政府がやろうとするから、五千万件の大量の登録者不明の国民年金とか出てしまうのである。ネット上にデータを出しただけで著作権法違反とか時代に乗れていない判決が出たりするのである。

 ……まあ、著作権に関してはコピーを許した時点でアウトなんだから、本当はそれでいのかもしれないが。本当に著作権を守りたいなら、現在のアップローダーは不備がありすぎるし、利用者がアップローダーを求める理由って言うと所詮、金を払いたくないからで終わってしまう。現品の値段が高すぎる、というのは鼻で笑われるに終わるだろう。金持ってないなら娯楽を求めるな、と。それでも娯楽を求めてしまうネット利用者というのは、まあネットそのものが娯楽だからに過ぎないのであろう。ネットは情報を発信できる有効な道具であるが、情報を発信する気のない人にしてみれば単なる娯楽集めの道具でしかないという。ネットの体質も少々、問題があると言えるかもしれない。

 話が脱線したが、手広くやるのはいいが押しただけで突き破れてしまうような薄っぺらさではどうしようもない。デブと表現したが、横に広く奥に浅い、それが今の政府の姿ではないかという気がする。もうとょっと範囲を狭めてやるべきだろう。手広くやるのをやめて、折りたたむ必要がある。政府が国民を守るのは必要なことではあるが、年金制度は国がやる必要があるのだろうか。とはいえ、やっちゃったからには責任を取らざるをえまい。年金用金を政府に支払った人には老後に年金を出す必要があるだろう。

 政府がやるべきことは何だろうか。まず、交通(道路、鉄道)、教育(幼稚園、小、中学校)、治安維持(警察)、災害対処(消防)、健康維持(病院)、外交(貿易)、そして防衛(自衛隊)。食料については多少の疑問がある。自然管理も同じ。なんか、シムシティを思い出すなぁ……シムシティはまさに、必要な物で構成されたシュミレーションと言えるだろう。縮図として使える。上にあげたやつでシムシティーにないのは外交ぐらいか。最新のやつは知らないので、もしかしたらあるかもしれないが(2000しかやったことない)。

 ……これ以上のことを政府ってやってたっけ……? まあ、いろいろやってるんだろうけれど。そういや、政府の組織図を見たことないなぁ。調べておこう。