五月二五日、金曜日の話
画像アップローダーは存在が犯罪か

 一昨日の二三日、画像掲示板運営者が逮捕される事件が起きました。

[◆]画像掲示板運営者逮捕

投稿サイト管理者ら逮捕=わいせつ画像掲載−年間アクセス7362万件・神奈川(時事ドットコム)
「画像ちゃんねる」管理者ら逮捕…わいせつ画像掲載(痛いニュース(ノ∀`))

 五月二三日、わいせつ図画公然陳列の疑いで画像掲示板というか、画像ファイルアップローダー運営者が逮捕される事件が起きた。まあ、逮捕されても仕方ないような書き方ではあるが、ちょっと問題があり、それゆえにネット界で大きな話題となっている。

 画像ちゃんねるは画像アップローダーではあるが、わいせつ画像を持ち込んだのは完全に外部の一般利用者なのである。画像ちゃんねるはわいせつ画像は削除するという規約を明言し、実際に削除もしていた。それなのに逮捕されてしまった。つまるところ、アップローダーに誰かがわいせつ画像を持ち込んだら、そのアップローダーの持ち主が逮捕されてしまう、という事例となったわけだ。ただし、逮捕されても裁判で棄却されるとアップローダー所有者が逮捕されることはなくなるだろうが……、一時、身の安全を確保するために有名な大型アップローダー運営サイトが軒並み閉鎖するという事態になっている。わいせつ画像を持ち込まれても、リアルタイムでの管理は実質的に無理だからだ。

 さて、アップローダーと言えばハデスサーバにも備わっているわけで、今のところは誰でも見れるところに危ない画像があるわけではない。まあ少なくとも、ダウンロードパスを自ら入力しないとダウンロードできない位置にあるので、公然と見せびらかしているわけではないはずである。どういう存在の仕方であればダメなのか、ちょっと分からないのではあるが。ま、どの道、明日にはすべて消える定めである。

 とはいえ……アップローダーは閉鎖すべきなのかねー。あまりにも非ネット社会とネット社会の間に温度差があって呆れるばかりだ。少し脱線するが、思うにネット社会が非ネット社会を駆逐するのは時間の問題だろう。現在の若い人の大半はすでに、ネットを知っている。のちに続く人々もネットに触らずに生きてくる人は本当に希少になるだろう。ネットを知らない人間は生物としての限界により押し出され、消えていく。百年で移行は完全に完了するだろう。んー、もしかしたら六十年で完了するか。ちょうど、僕らの世代が八十歳ぐらいまでになったときには社会はネット社会となっているに違いない。

 ま、六十年後の話をしても仕方ないのではあるが、今、できることと言ったらどのレベルまで公開すれば公然になるのかを量り、安全なところを進むしかない。おそらくは、ネット社会の人間にはそれができる。暗殺者のごとく隠れて進むことこそがネット社会の面白いところだ。ただ、人間の数は多いのに非ネット社会へは非力だというのがネガティブながらに本当に暗殺者っぽいね。

[◆]ネット社会は非ネット社会に対してどう対応すべきか

 この意見は僕の個人的及び勝手及び無責任な考えである、と前置きをして。ネットの中では意見が溢れているのにそれが表に立つことはほとんどない。あくまで、ネットは情報を取り扱い、情報的側面から活動を行っている。行動が目立つ2ちゃんねるで言えば、2ちゃんねるの行動過程は以下のものになる。

 状況発生(事件発生や何かの気になる行動感知など)
  ↓
 情報収集(ネット上に存在する細やかな情報源の探索、情報提供者の登場)
  ↓
 情報解析(集められた情報を解析できる人が解説、および対応案を提出)
  ↓
 議論(個々人の意見のぶつけ合い。議論がまとまれば行動へ、まとまらなければこの件は消えることになる)
  ↓
 行動(議論がまとまった場合のみ、出された対応案が実践される)

 行動は大抵は情報的なものになる。ブログ炎上に代表される物が多く、消費者センターへの通報だとかまとめサイトでの救援金の募集だとか、パソコンや電話や手紙に頼る形で行われる(だから、攻撃された側の反撃は名誉毀損とかそんなものになる。攻撃方法が情報という無形の形だから)。ネット社会の浸透に従い、情報収集と情報解析の能力は増加する。ネットワークでつながった拡散型処理能力を持つのである。端末となる人間が増え、思考能力は増大していくだろう。

 今はまだ、攻撃方法が情報的なものだからいい。ぶっちゃけ、ネット社会にはそれ以上の行動を起こさないでほしいのが僕の考えである。攻撃方法に非ネット系が増え始めると、どーなることやら、というところ。ここで言う非ネット系攻撃とは、具体的にはネットの声を代表する組織の登場のことを言う。ネットを反映して訴訟を起こしたり、国会に持ち込まれたりすると、今のネット社会はストレス発散の場ではなくなるんだろうなぁ。

 今のネット社会と非ネット社会の立ち位置を考えてみると、非ネット社会の見えないところで多くの人々が地下でつながっているという状態になるだろうか。高校あたりのクラスで言えば、委員長、副委員長、担任教師がハブられているという感じだ。委員長らの知らないところでクラス全員がひそかにつながり、連携している。相当に気味が悪く感じることだろう。ここで委員長らが取る方法としては、地下連携を無理やりやめさせるか、どうにかして自分たちも地下連携に組み込んでもらうか。現在のネット社会と非ネット社会の関係からいけば、非ネット社会の取っている行動は委員長らのたとえで言うところの前者だろう。ネットを破壊して連携を断ち切り、何とか支配下に置こうとしている。

 ……さて、自分で書いておいて何だが、自分が何書いているか分からなくなってきた。最初はここまで大きい話を書く気はなかったんだけれどな; ちょっと手に余っているようで、自分が書いたものが正しいのか、また自分の書きたいことを素直に表せているのか、分からない。



 でもまぁ。あんまり非ネット社会がネット社会をつぶそうとするようなら、なんだか暴動が起きそうである。日本の法律もなんだか奇麗事を並べ立てただけのものが制定されてきているように感じる。見た目はきれいだが中身はぐっちゃぐちゃだ。あと、場当たり。短絡的なものが多いように感じる。

 ますます、六十年後が楽しみになってきた。どれだけ激動に揉まれることになるのか。自分が生きていることを祈ろう。