四月二八日、土曜日の話
ゴールデンウィーク

 僕の場合、カレンダーどおりに休めるようです。

[◆]社会は個人にとって重石である

 平日にウェブページの更新をやろうものなら、睡眠時間の都合上どうしても中途半端に作業を終えざるを得ず、なかなかうまくいかない。僕のやる作業はうまく行ってもある程度の時間を要するものであることは学生時代から解っていたものの、なかなかに厳しい。仕事のために十分な睡眠時間と十時間の空き時間を作らねばならないことは、予想通りにきついものだった。

 自分のやりたいことをやってお金を稼ぐ。実に最良の状況のように思う。しかし、自分のやりたいことがお金に結びつかない場合、現社会の対応は冷ややかなものとなる。まあ、お金を稼ぐというのは、社会にとって都合のよいことをするということである。社会に貢献しますというのは、言葉は美しいかもしれないが要するに金を稼ぐって言うのと同義である。しゃべっている本人がその自覚があるのかどうかは知らないが。

 つまり、お金に結びつかない自分のやりたいことを常に続けようと思うならば、今僕が生きているこの社会は不適格ということになる。

 最近は、この社会から抜け出すためにはどうしたらいいのか、ということをよく考えている。手っ取り早いのは国外に行くことだろう。まあ、国外に行けば僕の住みよいところがあるかというとそんなことはないと思う。というのは、そもそも社会というのは人のためになることでなければ何も返してくれない、という前提で成り立っているからだ。自分のためにやりたいことをやるのはいいが、それだけでは生きていけない。

 うーむ。なんとなしに自殺も悪くない手段じゃないかと思えてきた。自分の周りにある社会が自分に不適格でしかないものだけならば、抜け出すためには死ぬしかないよねぇ。社会側がこうした欲求に対応することは出来ないだろう。対応するためには社会が崩壊しなくてはならないレベルになるだろうから。自分のしたいことをする、それだけのためにどれだけ社会が重石になっていることやら。

 ここまで話がややこしくなったのは、社会が複雑になりすぎたというのもあるのだろう。やれることは確かに多くなったのだが、気楽さといえば発展途上国のほうが上かもしれん。食べるのにも困っているところも多いのだが……。

[◆]物欲は仕事を辞めさせる要因となる

 仕事に焦点を当てて話すと、恐ろしいことに個人でやりたいことや欲しいものがあることは仕事の継続に障害をもたらす要因になるのではないかと思えてきた。なぜ仕事をやるのか。僕の場合は欲しい知識の獲得と新しいパソコンを取得するためと食糧確保のためといえる。では、これらの欲求が満たされたとき、果たして働いている意味はあるのだろうか。

 新しいパソコンとメンテナンスのためのお金は、一年、ないしは二年も働いていれば手に入るだろう。新しい知識は、五年程度。引き続き欲しい知識を手に入れようとするかどうかは今のところ不明。食料確保については僕が生きている以上は常に需要があり続けるが、フリーターにでもなって一ヶ月に十万円も稼げれば十分のような気がする。

 ただし、これらの予測は現時点での状況をそのまま維持した場合での話だ。結婚もすれば一人で少なくとも四人分ぐらいの稼ぎを生み出さねばどうしようもあるまい。ま、学生時代に恋愛も特にしなかった僕に仕事に時間をとられるようになった今、誰がいい相手が見つかるとは思えないのだが。やはり、恋愛をするには多大な時間が必要だよ。仕事が終わったあとの夜の三、四時間で何が出来るというのだ。土日なんざ自分のやりたいことをやるので精一杯だ! そりゃ、みんな二次元に倒錯もするよ。時間をとらない、文句も言わない、おねだりも紙の上の最高の相手だからね。ライトノベルやエロゲーの恋愛話の舞台が高校あたりなのも納得だ。人生において、恋愛に時間をつぎ込めるのがそのあたりぐらいだって、みんな知っているからだよ。

 さて、愚痴っぽくなってしまった。話を戻す。

 何か欲しいものを手に入れた場合、手に入れただけで満足する場合はいいのだが、普通はそういうわけには行かない。欲しいものは何かの手段である場合が多い。たとえば僕は無駄の限りを尽くしたパソコンが欲しいが、それを手に入れるのが最終目的ではない。それを利用してゲームなり音楽なりデータ編集なりをしたいわけだ。じゃあ、それらをする時間をどこに求めるのか。仕事と両立させるならば土日ということになるだろう。平日は仕事と休息で手一杯だ。

 そんなので満足できるのだろうか。大きな物欲はしばしば盲目にさせる。下手すると仕事を辞めてもかまわないと考えるかもしれない。最近は若い人が仕事を辞めることが多くなった、とか今は転職の時代だとかいうが、一要因としては物欲を煽り立てる消費社会の影響ではないだろうかと思う。その意味では、いわゆるオタクと呼ばれる人々は社会にとっては重要な存在だろう。安定した消費者であるからだ。消費物品に偏りがあるかもしれないが、最近はそっち方面に目を向けているところも多いらしい。確たる消費者がいないと安定しない社会だから、社会として、消費しかしない人々を求めているのかもしれない。

 これは世間的に見れば問題も問題とされるのだが、物欲を煽り立てねばどうしようもない消費社会の性質上、いずれは生まれねばならない人々だったといえるかもしれない。

 つまり、今の社会は安定している、と感じる。やれ高齢化だとかやれフリーター増大だとかニート問題だとか、昔の社会の姿と照らし合わせれば大問題なのだが、現代社会と照らし合わせてみた場合、非常に安定した姿なのではないかと思う。消費力を増やすために個人主義を推奨し、消費を安定させるために消費しかしない人々を生み出す。物欲にまみれた消費社会とは、なんとも頭の悪そうな社会なものである。

 本項目のまとめ。最大の問題は「社会のために何かしてやろう」という意識がすっぽり抜け落ちていることだよ!