一月二六日、木曜日の話
自分の小説を読んでみた

 セクト更新のために久しぶりに自分の小説を読んでみたのだが。

[◆]若いねぇ

 自分の小説を読むと、これが意外と面白くてニヤニヤしてしまった。いや、自画自賛なんだろうけれど、他の小説を色々と読み漁っている中で読んだものとしてはまあまあ面白い。先が知りたくなる衝動いうか、その昔に小説への感想で「一気に読んでしまいました」という感想が寄せられたことがあって、「うーん、深く考えさせる事はまだ無理かなぁ」と頭をひねっていた記憶があるのですが、今としては一気に読みたくなるのも分かる気がする。続きが気になるのだ。まあ、それもまた消費型小説には違いないのだが、二、三年してまた読んでもらえたならばそれもなかなかのものだろう。

 今回自分の小説を読んでみて、そこに一種の若さを見たような気がした。表現に何か焦っているような印象を受けるのである。まだまだ伝えられることがあると感じ、物足りなさを感じた。その感触を受け取って、また自分の成長を感じた。まあ、物足りなさを感じるという事は、そこに物を詰め込めるという事だから。

 うーん、最近、物を書く事も少なくなったしなぁ。日記はクソ長くなっているような気がするのだが、早い話、日記は未来の僕が読むように設計されている。僕が読めればそれでいい訳で、基本的に他の人の都合は考えてない。つーか、他の人の都合を考えて書くのは日記じゃなくてただの客寄せじゃないか。やってられますか。

 話が脱線したが小説。新デザインに移行しようかどうかかなり迷っている。と、いうのは、小説という長い文を読むのにかなり適した形になっているからだ。まあ、チョコチョコといじるだけで済みそうである。ただ、加筆修正したいなーと思うのと分量の再構築などをしてみたいという欲求がある。まあ、それをやると学業どころかオンラインゲームまでやる暇がなくなる訳で、本気でやっても半年は終わりそうにない。僕の場合、真っ白けの紙に小説を書いていくよりも、加筆修正していくほうがよっぽど時間がかかる。ちょっとした修正があとあとの話に引っかかる事が多いからだ。過去があって未来が決まる。そういう事になるらしい。

 やるとしたら、また真っ白けのところから書き始めたほうがいいだろう。ほらあれだよ、ちょうど世間では建築の話で基礎が大切って話をしてるじゃないですか。あれと同じ状態です。あとから補強をしてもあまり大した事にならないわけで。一回、清書して見るのもいいかも知れませんね。