一月一九日、木曜日の話
非常に唐突な将来展望

 やっぱ、自分はつくづく感覚派だなと思った。感じるままに、苦労とか何も考えないで。

[◆]非常に唐突な将来展望

 さて、三回生も残るは試験のみと言う感じにまで押し迫ってきた。この三年間を振り返ると、ちょうどいい具合に中身が外にはみ出てしまっているような空っぽ感がある。空っぽなら何かを詰め込めばいいなんて言ったのはどこのどいつだ。詰め込まれていたものが抜け落ちていく感覚というのは、幻想的でありながらも人を怯えさせるのには充分だ。もしかしたら、人によってはこれを限界に到達したと言うのかもしれないが、僕にとってはすでにあった能力、思想、色々なものが肺から搾り出される二酸化炭素と体臭と共に抜けていくような感じである。簡単にいうなら魂が抜けていくような感じだ。

 限界、衰え。こんなものを感じたくないというのは、おそらくは多くの人が感じていると思う。これを感じないのはそのように生まれ付いた一部の人だけかもしれない。天才と馬鹿であるが。天才でも馬鹿でもない僕は、パソコンに向かって自分の考える事を書き記すことしかできないという有様だ。そういや、本日読んだ「デビル17」という暴力とセックスの溢れた非常に面白い小説には「オンラインゲームは防御的な妄想だ」と書かれていたが、非常に面白いと思った。まさしく、オンラインゲームの殻に包まれてようやく何とかなっている人間はいると思う。現実で頭を殴られれば全て終わるというのに。

 さてさて、本日、就職活動の事を考えながら学生補佐のアルバイトを四回生になっても引き続き続けるかどうか迷っていた。四回生ともなれば、さすがに就職活動はしなくてはならない。さすがに、とつける所が楽観だと言われているのだが、とりあえず三回生の間は学業に従事である。ここを乗り切れば四回生は卒論がかければ留年はないという思うのだが、少しでもそうした危険を回避するためには、できるかぎり講義をしっかり受けておくに越した事はない。就職セミナーに行ったせいで最終課題レポートが出せなくなった人間を僕は知っている。就職活動に大学卒業の邪魔をされてどうするよ……。

 学生補佐アルバイトは非常に規則正しく行なわれるが、場所が大学である。就職活動の妨げになる可能性はある。同時に、アルバイトも正常に全てこなせるかどうか不安だ。受けたものの、就職活動とアルバイトが重なりまくったらどうするのだ。重きは就職の方にあるが……就職したら、攻め手も自活能力は手に入れたいしなぁ。家を出るかどうかは微妙なところだが。

 さてさてさて、学生補佐の事で悩んでいたら四時半を回ってしまった。今から申込書を書いていたのでは駆け込みになってしまう。締め切りは本当は今日らしいが、経験者ということで優遇されているのか希望者が少ないのか、締め切りをぶっちぎってもいいと言われたので問題はない。帰ろう。夕暮れを過ぎた外はかなり寒かった。家に帰るころにはもっと冷えているだろう。今日の朝には雪が降っていたが、昇る太陽の光のおかげで寒くなかった。夜は太陽の加護もなく、冷えるのみである。

 僕は世間一般の大学生からすれば、就職活動に付いてはずいぶんと立ち遅れているほうだろう。僕の友人の中では二人が就職活動をしている。知人まで入れると三人か。友人は全部で九人ほどいる。そのうち、大学生が八人。三回生は七人。その中で就職活動しているのは一人。類は共を呼ぶと言うか、基本的にどっしりとした奴らである。そのうちの三人は仲間とも言える存在であるが、彼らはあせって就職活動にいそしむ事もなく、自分のしたい事をしている。うち、二人については何も考えてないと言えばそれまでかもしれないが。へ(゚∀゚へ)アヒャ

 夜の寒さに手を傷めながら、自分はどうするかを考えた。少なくとも、大学を卒業した後にも親の庇護を受けるつもりはない。現実的にどうしても無理だったというならば止むを得ないが、ひとまず、卒業後は金を稼ぎたい。ただ、フリーターは駄目だ。安い給料で振り回される消耗品にはなりたくない。消耗品だからこその気楽さというのはあるだろうが、しかし消耗品の限界というのは目に見えている。消耗し切ったら捨てられるのが限界だ。消耗しきる前に就職できたらいいが……。しかし、僕個人の感覚として、三〇歳過ぎてもフリーターだと情けないの域に入る。どんなに建前を取り繕っても、会社側は若さ溢れる人材を使いたいのが本音だろうから、入るとしたら若いうちに就職を決めねばならない。二五歳まで就職が決まらなければ、危ないだろう。

 就職は自分の能力が使えることを条件にした方がいい。それが一番負担がかからず、余った気力は自分の好きな事に使える。企業実習で如何に楽をするかが、家に帰ってから楽しい事をする秘訣である事を学んでいる。金稼ぎは手段にしか過ぎず、目的ではない。ひとつ昔の時代は仕事を目的にしている人たちが大活躍していたが、もはやそれは限界だろう。仕事以上に楽しい事を買える時代ならば。

 さてさてさてさて、そうなると僕が持つ能力とは何かという事になるのだが……はっきり言って、これは紙のマークシートにチェックを入れて判断するような診断テストでは分からないだろうと思う。あれは結局はカテゴリーを求めるだけで、そのカテゴリーの中にどういう能力があるかは出せないからである。人の個人能力が多すぎるのだと思う。あなたの能力はこれとこれとこれですとはっきり言えるようになるには、全人類に三百年ぐらいかけてデータを集め続けないとならないだろう。結局は、診断テストは統計でしかないわけだし。過去の事例を合わせて振り分けているだけに過ぎない。

 電車に揺られて考えていたのが、自分の能力よりも先に就職したい職を思いついてしまった。感で。

 それはずばり、メディアワークスや講談社のような小説出版界である。後付けのような気がするが、僕が持っていて仕事に使える能力と言えばパソコンが使える事、そして本に親しみ、長文読解力もあることである。記憶力もあるので図書館司書なんかもいいかもしれない。こちらは学芸員の資格が必要だけれども。今読んでいるライトノベルだって仕事の賜物であり、これで金を稼いでいる人がいるのである。読む事を苦にしなければ何とかなりそうな気がする。

 ただ、問題と言えばこの業界の会社は基本的に東京にある事だろう。こちらとら京都である。その昔は首都でしたと言っても何の効果もない。その業界に行くなら、東京行きは覚悟しなくてはならないだろう。……まあ、週末になれば京都−東京よりも遠い大阪−千葉を新幹線で行き来している人が僕のゼミの先生だったりすることもあり、距離的な問題はなさそうに見える。ただし、住む所がね……ぜってーマンションでも高いよ。アパートだな。うん。