十二月一三日、火曜日の話
かっこ悪い大学生の姿

 非常にかっこ悪い大学生というのは非常に多い。

[◆]漢字が読めない

 大学というところは勉強の仕方として、英語の単語や数学の公式を覚えればいいというところではない。そういう講義があるのは確かだが、授業ではなくて講義である。その学業は論文を読んだりして自分で考えることが必要である。

 今は大学の価値は非常に落ち、また少子化で大学側も学生数を確保することに必死でランクをどんどんと下げ続けている。ほとんどの高校生が大学に来ることが出来るようになって、昔ほど、大学には賢い人が集まる、というイメージも意識もなくなっている。おかげさまで、実際に馬鹿な大学生は多い。礼儀、知識、行動。その全てが低い学生は本当に多いのだ。じゃあてめーはどうなんだと言われると、基準がないためになんとも言えない。だが、周りの学生と一緒にして欲しくないという感情は多分にある。そりゃー、就職できなくて就職浪人してしまうかもしれないという可能性は非常にある。予想外の大事でもない限り、留年や退学はないですが。可能性の大きさでいうなら、留年や退学よりも交通事故で死ぬ可能性のほうが高いと言える。……自分で言ってもいいものかどうか確信がつかめませんが。所詮、成績なんて他人の尺度だしなぁ。その辺は尺度を持っている他人の意見を聞かないとね。

 さて、最近目に付いたかっこ悪い大学生の姿を書いておこう。

 先ず一つ。漢字が読めない。しかも常用漢字。てめーは本を読んでねーのかと言いたい。漫画ばっか読んでんじゃないよ。

 本日の講義で先生が学生にプリントを読ませたのだが、「先ず」という漢字が読めないのね。大学生の癖して呆れたもんだ。てか、文脈から行けばすぐに「まず、と読む」ということぐらい判りそうなんだが。非常にかっこ悪い。てか、その大学生は講義に遅刻してきて、友達にノートのコピーをもらって何とかしようとしている人なので、つまりかっこ悪いの塊なのだった。講義くらい普通に出ろよ。

 次。背中を丸めてプリントを読む人。これは先の漢字が読めないなんちゃって大学生よりはましだが、その姿は情けない。

 おそらくはそうした方が楽なのだろう、プリントを机の上に広げて、顔をプリントに近づけて読んでいるのである。手を使ってプリントを持ち上げて読めよ、情けない、といつも思う。あと、この手の人は大体音読がへたくそだ。ゆっくりゆっくりとしか読めないのは、普段から文章を読みなれていないせいだと思う。僕がプリントを読むときはあんなに詰まり詰まりにはならない。てか、背中を丸めて発音しにくくありませんか? 体の形的にものすげー読むのが辛い体勢のような気がするんですが。

 そして、ゴミを投げ捨てていく学生。これはもう救いようがないほどかっこ悪い。知的障害でも患ってんじゃないかと思う。わざわざ教室の後ろに座って、一番ゴミ箱に近い位置に座っていながらゴミをポイ捨てするその神経は聞くも涙、語るも涙のひどい家庭環境の中で暮らしていたからなのか、過去に底知れぬ怨恨の念をゴミ箱に対して抱いているからなのか、頭が不自由なのかなんなのだろう。かっこ悪いって言うかもはや目障りの域である。

 まあ、「そんな事いうならお前が注意しろよ」とか「もっと勉強して頭のいい大学に行けば良かったんだよ」とか、子供のような事言われるだろうから、ここに書いておくに留めることにする。しかし、これを読んである程度の自制心を持ってくれる人がいればいいとも思う。

 批判は重要な反応ではあるが、最近の学生は自分が批判されることに慣れていない。いや、慣れる慣れないの問題ではない、批判がどういうものか分っていない。馬鹿は批判をただの悪口と受け取る。馬鹿だから。タバコの煙を撒き散らし、タバコの吸殻を道にばら撒けるほどなら、批判ぐらいまともに受けろって思う。

 ……まあ、こうして表立って何も言わない僕も批判されることは承知しています。僕も結局は情けない学生か。ε- ( ̄、 ̄A) フゥー