十二月 五日、月曜日の話
これは成長か、もしくは暴走か?

 最近、目に見えて家族に対する態度が悪くなってきている。

[◆]妹に「ぼけ!」という事は悪い事か

 最近、目に見えて家族に対する僕の接し方が悪くなってきている。と、いうよりは、僕が考えている“当たり前”と家族の考える“当たり前”が相性が悪いようなのだ。

 おそらく、親は自分の子供は自分の決めたルールに従って生きていると考えているだろう。だが、僕自身は親の決めた規律の中で生きているのは、生活主段を得るための手段としか思っていない。また、最近は生活手段を失いかねないほどに親や妹に対して悪辣な態度を取っている。原因はなんだろうか。

 大学で心理学を勉強しているが、この分野で力を発揮するのは青年心理学である。言い換えれば成長心理学とも言えるだろう。幼少期から成人までの真理的なものを見ていく学問で、僕も青年心理学の単位は取っている。
 思うに、また自分で感じるに、僕はすでに家族から自立したい欲求があるのである。それは日に日に強くなっている。これが家族に対して悪辣な態度を取る原因だ。また、家族の方は僕をまだまだ保護の必要な子供と見ているので、僕の欲求と正面衝突している。もはや、納得の行く理由が無ければ親の命令には従えない。

 自立したい、と思うようになったのは最近の話なのだが、今日のは割りと顕著だったかも。

 その時、僕はパソコンに向かってヘッドフォンで音楽を聴きながらネットサーフィンをしていた。と、いきなり視界に動くものを見つけて驚いて振り向いたら、妹が手にシュークリームを半分にしたものを持ってきていた。

 あぶなかった。僕はそのとき、瞬間的に動くものを「敵」だと判断していた。なぜかと言えば、僕の部屋に無断、無言で侵入していたからである。普通はドアのノックはするものだ。手にお菓子を持っていた、というのは言い訳にしかならない。なぜならば、以前から僕の部屋に入る時には必ずノックを、と妹に対して何回も言っていたからだ。もう少しで腕を打ちつけている所だった。

 僕にとってはシュークリームを持ってきた、という事よりも勝手に部屋に入った事のほうが問題だ。この事は、人の気配を察知する術も無いのに変に危機管理能力を持っているせいだろう。無意識に敵を求めているゆえか。ノックできないならシュークリーム持ってくんな、というぐらい僕の優先順位は勝手に部屋に入ったということの方が問題なのである。

 ちなみに、僕の部屋のドアには鍵が無い。大抵の場合、僕よりも五歳若ければ自室のドアには鍵をつけて欲しいと親に頼むのが一般的な子供の反応らしいから、僕の危機管理能力はこれでもまだまだ甘いほうだと勝手ながらに思う。

 そういうわけで、慎んで「ノックもせずに勝手に部屋に入ってくんな、ぼけが!」と言ったわけである。ちなみに、勝手に部屋に入るなと警告したのはこれで五回目ぐらいである。三回警告しても覚えられないようなら、言葉はだんだんと悪くなる。侮蔑の言葉はこういう時のためにあるのだから。



 で、そういう下地を知ってか知らずか、夕食時に僕が親から文句言われた。「ぼけ、なんて妹にいうんじゃない」。じゃあ次は低脳と言えばいいのか、いやもう少し上品に「お前みたいに人の迷惑を考えない奴が成人になるなんて寒気がするよ」と言えばいいのか、と考えつつ「なんで?」と聞いた。三回言ってもいうことを聞かない奴に対して効果的な意見があれば聞きたいものである。

 まぁ、僕の言葉が足りない事は認める。「なんで?」と聞いただけでは「効果的な対策が思いつかないので言葉が悪くなってるんだけれど、三回言っても聞かない妹に対し、侮蔑の言葉を使ってはいけないのはなんで?」という意味には取られにくいだろう。僕としては、ほぼそのままなんだけれど。親の答えは半ば予想出来ていたのだけれど、期待してとりあえず聞いてみた。

 期待は裏切られた。予想してたけれど、お父さんの答えは「だめって言ってるだろうが!」。根拠なしの力による抑圧かよ。やめてくれよ白けるから。で、お母さんは「まあ、これで喧嘩両成敗だから」とか、本気で頭のビス飛んでる様な発言をするし。両成敗になってないよ、僕の一人勝ちじゃないか。この段階になって、おそらく僕は親が望んでいるような“反省”はちっともしていない。むしろ白けてます。
 親が僕が妹に対して「ボケ」と言ったということを知っている、という事は妹が親に言ったのだろう。つまり、僕から妹へ文句を言った事は成立している事になる。対して、妹から僕へは何も無い。勝手に試合終了を言い渡されて、損をしたのは妹だけなんだが、親は分かってないっぽいな。まあ、仮に僕が親に殴られたところで僕の心情は変わらないのだが。

 ……白ける、というのはある意味では自分が成長した証なのだろうと思う。あと五歳若かったら、親を怖がって謝っていたかも知れない。しかし、もはや親の恐怖は感じず、意見が合わないことに落胆するばかりだ。ちなみに、この手の意見の交換というのはどっちかが折れて納得、という類のものではないので、最初に合わなかったらもはやそれまでである。この手の意見で折れたとしたら、それは納得じゃなくて服従である。



 さぁて、もしも僕が親になった時、子供からこういう態度で見られたらどう感じるのだろうか。あまりにも未来予測の事過ぎて分からないことだ。少なくとも、今すぐに子供を作ったとしても二〇年過ぎないと分からないことだ。二〇年あれば、僕の考え方もまた変わっている可能性はある。

 もしも考え方は変わっていない、つまり今の僕の立場で考えるとすると、ものすげー喜ばしい事である、と考える。親と意見が合わない、というのは、つまり自分の意見を持っている証。精神的には自立していると考えられるだろう。精神的に自立出来ていれば、生活面で自活しなくてはならなくなったときにも対応できる。大学生時代はモラトリアム(自立猶予期間)とも呼ばれ、生活的自立の猶予期間とされる。まあ、早い話が親に寄生しているようなものだ。この時期は。

 ただし、本当に「寄生」できているのならいいのである。親と「同化」していなければ。モラトリアムが終わっても親から離れなかったら大問題もいいところだ。親に反発を示す子供は少なくとも同化はしてないから、無事に成長していることになる。僕としては喜ばしい限りだが。もちろん、自立と言ってもよい自立から悪い自立様々ある。ただし、それを修正したいなら力任せでは駄目だ。お互いの意見を出し合い、平等な立場で話し合いをするしかないのだ、と思う。人によると思うが。少なくとも僕はそうだねー。

 まぁ、ここまでつらつらと考えてきたが、ここまでの考察には親の本当の心情が入っていない。非常に部分的な心情読み取りしか出来ていないのだが……まともに考えているのなら、根拠なく力任せに命令はしないと思うんだがなぁ。僕の勝手な意見なんだろうか……。

[◆]そういえば、思いついたのだが

 上の日記かいてて思いついたのだが、勝手に部屋に入られても、すぐに気が付く様にすればいいのである。後ろに立たれると攻撃しそうになる。僕はゴルゴ13か。

僕の部屋の現在の間取り

 部屋と部屋にあるものの寸法を測って作ったので、上の作図は割りと正確です。( ̄ー ̄)ニヤリッ

 さて、現在の僕の部屋の間取りは部屋の中心にスペースが集める事を目的にしたタイプである。この時、机に座っているときは部屋の入り口(左下の矢印)が背中になるために侵入者が全く分からない。机に座って作業するのはほぼ必須なため、要するに机を入り口の方に向ければ素早く察知出来ることになる。
 まあ、サーバーのためのスペースを確保しなくてはならない事だし、模様替えをして見るのもいいだろう。ちょうど年末だし。

 ちなみに、机を入り口の方に向けるとすると……、

机の新配置

 ……どこの警備員だ僕は? いや、侵入者を察知するという点で確かに一番分かり易いが……ものすげー威圧的な配置だ。机を配置するといっても、椅子を引く分だけのスペースを確保しなきゃならないから、机の後ろにはスペースが必要になる。鉄棚の事を考えると、こんな感じになってしまう。ベッドの上を通路と考えればもっと余裕を持てるだろうが……あまり気が進まない。

 これで肝心のサーバーのスペースも開くのかどうか不明。古椅子の下の今やアンプの働きしかしていないCDオーディオを廃棄すればそれで事足りるのだが。悩みどころだ。第一、この配置だとせっかく部屋の中央に集まったスペースを分割してしまう。部屋を手狭と感じると心苦しいものがある。机の上は開放感に包まれる事受け合いなのだが。

 本類を置ける図書室が別にあればなぁ……。