十二月 四日、日曜日の話
力で押さえつければ反発されるのは必然

 しっぺ返しを喰らうことを分かっているのか?

[◆]友人の演劇を見に行く

 昨日、十二時過ぎにはベッドに入ったのだが、結局一時半まで寝られなかった。まあ、その時間帯に深夜バスで東京に向かっている友人が寝ようとしている僕にとてもとても喜ばしいメール攻撃をしてくれたので、良しとしよう。(´▽`#)アハハ
 年末に年越しパーティーをやろうという事で。まあ、それはいいのだが。

 朝起きて、ふとスタンドにぶら下げてある紙留めに目をやると、そこにあったのは友人が出演するという演劇のチラシが。そういや、十二月の初めだったよな、と思って見ると、開演日は十二月 二日、 三日、 四日。(゚冶゚)うわぁあああ今日で最後だぁぁぁぁ。

 そういうわけで、午後十二時ごろに早めに昼食を食べられたのを幸運に、演劇を見に行くことにしました。開演は二時からです。一時間あれば充分に行けるでしょう。外は寒く、しかも雨まで降っていてむき出しの手が痛かった。鼻も冷たい空気を吸い込んで痛いの何の。阪急河原町駅から東へ。祇園、八坂神社前を南へ。東山区総合庁舎に一〇分前にたどり着き、学生料金千円を支払って会場に入室しました。千円は場所代でしょうね……。

 さて、僕は少し前に友人から脚本を見せてもらっていました。ゆえに多少中身が分かっているのですが、それでも見に来たのには訳があります。脚本はあり、役者の心情とかも書かれているんです。しかし、気になったのはその劇が無言の劇である、ということで。姉の婚約者から六百十六円の小銭を借りたが、それが気にいらないのですぐに小銭を作って返すことにした……どうやってそれを表現するのか? 非常に興味深い。
 あ、ちなみに演劇を見に行ったのは友人が出演しているからとかいうつまらない理由ではないのであしからず。こっちは演劇を見に行ってるんだ。友人だから、というのは演劇を面白くする要因にはならないよ、僕の場合。そんなの、ただの冷やかしじゃないか。

 さて、開演。なんか男がトレーニングしてる。そして男は就寝し、朝になったらしい。男は目が覚めたものの、かなり二度寝したさそうにごろごろしてる。目覚ましがなってしばらくして起きた。トイレ行ったり朝食食べたりし、服を着替えてスーツ姿に。時々鏡に向かって手をピストル型にして決めてみる。そして、会社に行くのか家を出て行く。

 劇第一部終了。(;´∀`)・・・うわぁ・・・ 。

 僕が一番気にしていた部分は、まさしく説明がなければただ夜にトレーニングしていた男が朝になってごろごろした後に服を着替えて出て行った、としか映りませんでした。思うに、これって一番最悪のパターンなのでは? これじゃ、とにかく演劇している人がここにいます、としか伝わらない。見てる人を笑わせることも泣かすことも考えさせる事もない。うーん。

 劇第二部は「幸せを計る機械」というタイトルらしい。電車の中が舞台であり、そこで新婚夫婦が「幸福」「不幸」の言葉の投げ合いを始めるのである。「俺の方が幸福だ!」「いいえ、私の方がもっと!」「俺だ!」「私よ!」と言い合ったかと思えば、「俺は今、不幸だ!」「私の方がもっと不幸よ!」「俺だ!」「私よ!」。頭が弱いという点でお似合いだよ、うん。「幸福で一杯になっているとき、俺はつい不幸な事を考えてしまう」と言われることを嫌がるなら、最初から結婚すんなよ奥さん。結婚前には同棲してみることをお奨めする。

 ちなみに、劇第二部では第一部で主役だった男がただの乗客として脇役で出ている。何も知らない人が見れば、第一部と第二部は続き物だと思ってしまうだろう。本来なら全く関係のない人間が、第二部の話に関わっている。つまり、何処かで人は繋がっているのだ、という感じで。

 劇第三部は第二部に乗客として脇役で出ていた女の子が主役で、なんか家に帰ってきて意思を持って勝手に動く車のおもちゃ、「ムーブ」としゃべり、音楽を聞き、なんかバレーをしていた。“なんか”と付けたのは、それが割りと脈絡のない事で何の意味も持っていなかったからである。やはり、とにかく演劇している人がここにいます、としか伝わらない。

 そんな感じで八〇分弱を過ごした。五段階評価でランクをつけろと言われたら遠慮なく下から二つ目に丸をする。ちなみに、僕の友人は第二部で本を読んでいる乗客の役をしてました。いや、なかなかいい味を出していたかと。見所はあまりなかったですが。まあ、一回出演者が全部決定した後に参加したらしいから、そこから考えれば演劇の中に出られるというのはすごい事ではないかと思う。

 アンケートには「なるほど。いいとも悪いとも言えない。そういう作品じゃないだろうし」と書いときました。もしもそういう作品なら悪いと答えます。お世辞を言って誤魔化すような真似は好きじゃないんでね。

 さてと、河原町方面まで来たんだし、PCパーツ屋によっていこう。

[◆]やはり、京都の寺町通りでは駄目

 今日もパーツを見に行ったわけですが、京都のドスパラ店やDOS/V店などでは、どうしてもパーツの品揃えが悪い。CPU、マザーボード、メモリ。これだけを見てもいい物が作れるとは思えません。すでに作ってあるものに何かしらの手を加える場合には有効かもしれませんが。ここはやはり、大阪まで行かねばならないかな。

 自作パソコンは少なくとも十二月十一日までには稼動させておきたい。とにかく早く稼動させなければ、今年中にサーバを出す事は不可能です。セキュリティもしっかり出来てないのにネットに出すことなんかできません。また、ネット手続きも必要ですし。

 店を回っていると、やはり自分のパーツに対する知識不足を痛感します。結局、どれがいいのか? という疑問が頭をかすめるんです。ペンティアム4か? ペンティアムD? XEON? アスロン64か? つーか、それらってどう違うの? マザーボードはRAID機能はどうなってるの? LANギガビット対応なんかいらないよ、メモリのデュアルチャンネルってできたほうがいいのか? てか、マザーボードのどの部分がどれに対応してんだよ? ケースはどれがいいんだよなんかどれも大きい気がするけれど。ファンの取りつけはあった方がいいだよな? 電源はどうすんだ?

 頭を抱えつつ、とにかく良さそうなパーツの製作メーカーと型番をメモに取りつつ、二時間ほどで店を出ました。で、一旦駅に入りかけたんですが、引き帰し、新京極のメロンブックスに行ってライトノベルを買いました。時期が過ぎて地元の本屋では売らなくなったライトノベルもここにくれば買えますね。ちなみに買ったのは電撃文庫「バウワウ!」。作者は成田良悟。これでこの人の作品はコンプリートだ。この人の作品は非常に面白い。

 その後にジュンク堂に行ってサーバの本を立ち読み。「サーバが重くなったときのための本」ふむふむ。「0から始めるオンラインゲームの製作」C++言語をまず覚えないといけないが……半年かかるかな。それでもまともに勉強すればの話だが。一緒に勉強してくれる人がいればなぁ。てか、ぜんぜんゼロから始められないんですが。

 で、見つけたのが日系WinPC編「PC自作の鉄則!」。内容を見て見れば各パーツ比較などもまとめられていて分かり易い一品。パーツごとの特徴も書かれているので、まさしく僕が欲しかった情報が載っていると言えます。それを買いました。

 これを読んだ後はパーツを実際に買っていかないと。ぜんがー殿に日本橋の案内を頼むかな……。

[◆]親に向かって「身の程知らず!」

 さて、家族に対して大した愛着もない僕な訳ですが、今日の夕食でちょっと頭に来た事がありまして。本日は演劇に行ったのでその話をしていて、僕の友人の話になったのです。で、その友人というのが僕が肺気胸で入院していた時に見舞いに来てくれていて、お母さんの目に止まっていたのですが、その友人が僕の見舞いに来てくれたのは、僕がそのさらに前に彼が指を電ノコでギリギリ切り落ちないぐらいの怪我を負って入院していた時にお見舞いに行ったからだ、と言ったんですね。

 ここで怒りが湧きましたよ。

 「えぇ? なんで?」と思われた方は多いと思います。まあ、この部分を理解していただくには、僕という人間とその友人という人間に対してかなりの理解がないといけない。僕から言わせれば、「おいおい、僕だぞ? ましてや彼だぞ? んな義理で人の見舞いに来るようなタマかよ」ということなんです。まあ、本当に彼がそういう人間か、と聞かれるとはっきりとは言いにくいですが、彼の思考形態は僕と近しいものがある。だからと言って安心はできないんですが、とにかく、何も知りもしない親がクソ詰まらない常識振りかざして「義理があるから見舞いに来たんだろ」とか、まるで彼が事務人間みたいなことをいうものでね。これは侮辱だと思った。事務人間だぁ? そんな型にはまったやつと一緒にすんなよ。

 でー、最大の問題点は親が自分の言っていることにそういう意味がある、ということに気が付いていない点でね。そういうつもりはなかったとしても、言い方ってもんがあるんですよ。僕の親も物の言い方には気をつけろと僕に何回も言っています。まずは自分から気をつけろよ。

 まぁ、「義理があるから動く」というのは親達の定説なんでしょう。だから僕は言ったんですよ、「身の程知らずが」と。親の定説と僕らの定説は違います。違いがあることに気がつけよ、僕の倍生きてると自慢するぐらいなら! まあ、「身の程知らず」では語弊があるかもしれません。が、今考え直してみても……低脳? 恥知らず? 猿? もっとよく考えて、場違い? 勘違い? 僕の貧相な語彙からはそんな言葉しか出て来ませんが。

 だからさー、一回、「それは違う」と言ってるんだからさ、なんでそこで「いや普通は……」と続けるのかな? 普通じゃねぇって言ってるだろうが!! 話をする気はあるのかよ。

 で、いい加減僕の文句に腹が立って来たら「あんたは誰に養ってもらってると思ってんのよ!」と伝家の宝刀を抜くわけですよ。それを抜くって事は真正面からの対話ができなくなったって事で、「あんたの命綱はこっちが握ってるんだから、黙ってこっちのいうことを聞けよ」と言っているわけです。僕からみれば 恥 さ ら し もいいところです。同じ土俵で話し合うのが大人ってもんでしょうが、全く関係のないところを持ってきてどうすんだよ。しかも、問題が棚上げされただけで解消されやしないよ。

 あと……確かに伝家の宝刀ではあるが、諸刃の剣だという事をお忘れなく。この伝家の宝刀はただのパワーバランスにしか過ぎず、今は親の方が上だからいいんですが、僕が上になった時には絶対に仕返しが来るんです。僕はする気満々ですが。僕は大学を卒業すれば就職するのですが(まずは自活できないと意味ないしね)、時間が経てばいずれはパワーバランスは逆転します。その時に改めて言いましょうかね、「身の程知らずが」と。我侭に付きあってられるか。

 しっかし……「なんでそこに行くんだよ」という問いに対して「そこに行くしかないでしょうが!」とは呆れたものです。つまり、それが無くなってしまえば親には何も無いって事じゃないか。親としての尊厳が無い。結局金が無いと自分の子供を抑え付けられないってどうよ? 普通、親って言ったら子供の目標のような人物だと思うんですが……………………まあ、そうでも無いか…………_|\○_ 夢がねぇよ、夢が。

 また一つ、人生が楽しくなりましたねぇ。