十一月二四日、木曜日の話
大学に行く

 ちょっと求職登録カードを届けに。ついでにジェンダー論の授業を受けに。

[◆]就職活動の足音

 最近、僕の知り合いが就職活動の影にあせり始めているようである。僕の主だった友人の中でも一人、就職活動の影に焦っているというか怯えている人がいる。スーツを着込んで企業説明会にいっている人もいる。ただし、僕は何もしていない。せいぜいがゼミの先生に一押しされて企業実習に行ったり、今日こうして求職登録をするための届出をするために大学に行く程度である。あ、大学でやっている就職支援講座のビデオまで一つも見てないや。そろそろ見るか。

 僕自身は、生身の僕を知っている人ならば大体の人が知っているだろう。就職というものに関して、対した考えは持っていない。ただ思うのは、例え僕がつきたい職を持っていたとしても、それにつける事はないだろうという事ぐらいだ。現実を見れば、そもそも僕がつきたい職というものがないのだから、努力のしようがない。資格も持っていない。就職講座もほったらかし。現代に生きるイチぐうたら大学生。それが僕である。

 考えている事といえば、とりあえず頭を使う職に付きたいということぐらいだ。体を使う職は〜まあ、やった事がないのと自信がないのでひとまず後ろにやらせてもらおう。根性は周りの量産型大学生よりはあると胸を張りたいが。さぼり癖があるので、市役所で働く公務員が内容としてはいいのだろう。ただし、競争率いくら? 伝手がないと入れません。

 ……まあ、やりたい職がないわけではない。僕は基本的に人にものを教えるのが好きなので、教師をやってみたかった。高校生希望。ギャグが通じそうだし。国語の先生がいいなー。現代国語は好きです。漢文と古文が全く駄目ですが。その辺りはカンニングペーパーで押し通させてもらおう。何時の世も大人は卑怯なんです。ヽ( ´ー`)ノ

 うちの大学には教職課程はあるものの、公民の先生にしか成れず、国語の教師は無理だった。まあ、仕方のない事であろう。方法としては、卒業した後に別の大学に教職の単位だけを取る入学の仕方をすると取れるようだ。が、社会に出てからそんなことしてる時間があるのかどうかはなはだ疑問である。多分、無理だ。そんな暇な職場はないだろう。

 あと、やりたい職があるとすれば……物書き、小説家かな。最近の小説は駄目だー。面白いと思える要素が点々になってて線も面もない。違う? 大きな布の一点を摘んで持ち上げているような。一点で頑張ってて、その一点を見れば大体の事が分かってしまう。引き寄せられた他の部分で何とか頑張っている状態。つまりは“萌え”の一本釣りな分けである。今年の流行語大賞取れるんじゃない? “萌え”って。もしくは“キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!”とかね。ヽ(´▽`)/

 ま、逆にそれしかないという事な訳ですが。流行語大賞で本当に“萌え”がランクインするような事があったら、いろいろと考え直さないといけないことが出てくるような気がする。かくいう僕も只今「まぶらほ」(富士見ファンタジア)を読んでいるわけですが。最近はシリアス路線でまあまあ面白くなってきたような感じ。ただし、パラレルストーリーでは相変わらず“萌え”中心な話になってるから油断は出来ない。組織MMM(もっともっとメイドさん)ねぇ……。

 脱線してしまったが、就職活動の荒波を恐れている人は多い。楽観主義者でも無い限り、普通は何かしら感じるものだろう。僕のようにゲーム音楽で時間を潰すような事はすまい。只今のお気に入りは「東方花映塚:お宇佐さまの素い幡」。すでに 四 時 間 聞き続けているかも。ちなみにエンドレスです。
 就職情報をみたりして過ごすのがこの時期の大学三回生のスタンダードであろう。クソくらえだが。そんなもん読む暇があったら音楽に合わせて手拍子だ。自分でもなんかアホな事書いていると思うけれどまあいいや。

 まあ、そんなことろなんです(まさかの強引なまとめ)。

 ――ああそうそう、忘れてたけれどジェンダー論。三〇分遅刻で教室に行ったら、なんかミュージカルの映画が流されていて、ものすげー眠かった。一応寝ぼけ眼で見ていたけれど、一体どこでジェンダーな話が出てくるのか全く不明だった。遅刻しなければ何かしらの説明が聞けたのだろうが、初めから受けていた友人に聞いても要領を得ない。この授業、本気で駄目っぽい……。

[◆]シューティングゲームに思う

 ゲームをしている、というと多くの人はあまりいい感想は抱かないだろう。ゲームが趣味です、と言えばもっとマシな趣味を持てよ、と思う人も多いだろう。中には口にまで出す人がいる。こう思われる背景には、ゲームというものが何の生産性も持たず、また日陰の家の中で座ってやるもので、活動的ではないというイメージを持たれているせいだ。これは正しい。オンラインゲームでは一応、コミュニケーションの養成という札が付いているが、「どのみちゲームじゃん」と言われる事はあろう。

 しかし、ふと思ったのだがシューティングゲーム、特に弾幕系と言われるゲームは本当に何の役にも立たないのか、と言われると首を傾げるところである。まあ、ゲームで遊んでいる人は楽しめるから役に立っている、というのは置いといて。

 弾幕シューティングは普通に楽しむゲームとしては、やや異色だと言える。なんともすれば、これほどストレスになるゲームもないだろう。一瞬の判断、指の汗が命取りになるようなゲームである。プレイヤーの中にはそのような世界の中を華麗に遊ぶ「神プレイヤー」なるものがいる。この手のゲームにはそうした神プレイヤーによる「神プレイ」の様子をムービーやリプレイデータにまとめて配布しているものが多い。これはどういうことか、という事なのであるが……。

 まあ要するに、「真似できない」のである。RPGはヒントを聞きもらす事なく遊んでいれば誰でも似たようにプレイできる。アクションゲームも同じ。格闘ゲームに置いては必殺技のコンボ攻撃がムービーに保存されていたりもするが、大抵がコンボ中だけのムービーである。また、弾幕シューティングほど頭から尻尾の先までここまで瞬間的ストレスがかかるゲームはないだろう。しかし、「神プレイ」ができる人だけがそのプレイをする事が出来る。まさしく称号物だ。勲章が出てもおかしくない。

 つまり、弾幕シューティングはそれだけ「個体差」による要因を含んでいるのである。「俺、格ゲー嫌いなんだけれど」というレベルではなく、瞬間的な判断力、操作性、高性能な情報処理、どれだけストレスに耐えられるか。まるで人間の限界を試すかのようなゲーム。能力差がはっきり出るだろう。

 一種の訓練に近いものを感じる。無意味な娯楽ではなく、情報処理訓練、動体視力訓練、瞬間判断力訓練のような。これらは個人の能力だから、言うなれば英語の試験で何点、国語の試験で何点、という感じで、高得点を取れば他人に誇れるものではないかと思う。社会的になにか能力や生産性を認められれば、「どの道ゲームだし」と言われずに済むだろう。そうした可能性があるのではないかと思う。

 まあ、それだけ難しいゲームです、弾幕シューティング。これは人間の可能性への挑戦だね。うんうん。

[◆]本日の音楽

◆上海アリス幻樂団
東方永夜抄:恋色マスタースパーク
東方永夜抄:シンデレラケージ 〜 Kagome-Kagome
東方花映塚:お宇佐さまの素い幡
東方花映塚:彼岸帰航
東方花映塚:花は幻想のままに