十一月一五日、火曜日の話
平凡、平凡、平凡……ねぇ……。

 授業を受けていたら「ツンデレ」に対する考察が思い浮かんだ。

[◆]ツンデレとは?

 今回の話を始める前に、以下のサイトでツンデレの定義について予備知識を入手してもらいたい。

 はてなダイアリー - ツンデレとは
 ツンデレ派とか。(->ツンデレ初心者の方へ)

 ツンデレとは、現在の漫画、アニメ、ライトノベル界で一世を風靡(ふうび)している「女の子のキャラクター性」のことである。巷でいうところの「萌え」について理解がある人ならば、おおよその所は理解できるだろう。

 予備知識を得てもらったところで、話を始めよう。

 事の始まりは僕が電撃文庫というライトノベルのレーベルを出しているメディアワークスのサービス、定期発信情報メール「電撃ブートレッグ」を読んでいたときの事だった。次々と出版されるライトノベルの紹介を読んでいたのだが……目に付くモノがあった。それは「平凡」という文字。

「平凡な高校生・城島晶の枕元で……」(レジンキャストミルク)
「夏目智春は一見ごく平凡な十五歳」(アスラクライン)
「だが平凡な高校生・芹沢望にとって……」(彼女は帰星子女)
「平凡な高校生・唐崎省吾は……」(イリスの虹)

 てかみんな高校生かよ! という突っ込みはさておき、現実世界に基盤を置いたライトノベル小説の第一巻の紹介では、げっそりするほど主人公は平凡であるといわれている。平凡という文字が使われていなくても、要するに平凡だと言っているものはとても多い。

 そして、そこに登場するは何かしらの力を持った女の子である。出て来るのは女の子と言い切っていい。今の世の中はボーイ・ミーツ・ガールなのである。ボーイ・ミーツ・ボーイはないのかと言いたくなるが希少である。

 さて、女の子が出てきたところで、その後はどうなるかと言えば主人公は女の子に助けられまくりの連続になる。その中で主人公も強くなり、最後には女の子の好感をゲットしてラブラブになっていくのが王道なのである。「灼眼のシャナ」や「レベリオン」はその典型であろう。

 さて、ここでツンデレの話になるのであるが、ツンデレ。大抵、好感を持たれているツンデレにはある特定のバランスがあるように思う。つまり、「最初は主人公よりも立場が上なのだが、やがて主人公に追い抜かれる」というバランス。このバランスを見た上で全体的に考えていくと、ある発想が思い浮かんだ。

 ツンデレとは、“男女の性的役割が逆転して発生している”という発想。ツンデレとは初めはつんと澄ましていて主人公の事をなんとも思っていないように振舞うけれど、後半になってくると主人公にでれでれとくっついてくる……というのは、最初は女の子に男性的役割が任せられており、後半は女性的役割が任せられている、というように考えられる。

 ジェンダーがどうしたという話は頭の隅にやってもらうとして、「女性が男性を護る」と言われたらどう思うか。大抵、男性が情けないというイメージを抱くのではないだろうか。逆に「男性が女性を護る」と言われると、すんなり納得してしまうのではないだろうか。

 ツンデレにはこうした立場上の性的役割が大きく働いている。漫画やライトノベルなどでは「ツンとしていてる女の子に護られた男の子(主人公)」という構図が多い。これは一般的に考えられている性的役割が逆転していると考えられる。女の子に男性的役割が、男の子に女性的役割が与えられている。これは読者の理想を投影したものだろう。最初から男の子に男性的役割が与えられていないのは、現実の男性諸君が性的役割を果たし切れていないからか。

 例えば……自慢じゃないのだが、例えとしてあげると、僕が大学で講義を受けに教室に行った時、臨時の教室変更があって、実際には違う教室で講義が行われている、という時があった。そのとき、僕はその教室にいた全員に対して教室が変わっている事を伝えた。僕としては普通だと思った。しかし、一緒にいた友人からは「男らしいな」と賞賛されたのである。その友人に対して失礼なのだが、そういう感想を持つという事はその友人は無意識的に自分に女性的役割を課していたことになる。

 今の社会を見ていると、例えば人の目を見て挨拶できない、はっきりと物が言えない、自分の意思で物事を判断できないという男性は多いのではないかと思う。これは男性的役割の欠損だと言ってもいいだろう。ジェンダー論学者の人からは叱責をこうむりそうだが。ジェンダー論では男性的、女性的役割と区別するのは禁止なのである。

 ジェンダー論についての考察はまた後ほどにすることにして、ツンデレ。後半になると男の子が男性的役割をしっかりと保持するようになり、女の子は男性的役割を放棄して女性的役割を保持することになる。この状態がデレである。見た目、弱かった男の子が強くなって女の子を見返した、という構図が生まれる。これは女性的役割を甘んじて受けている男性には理想的なものだろう。レベリオンの作家は作中において「男は遺伝子レベルでかっこつけだ」と言ったが、これは本能的なものだ。オスは強くないとメスに受け入れてもらえない。ツンデレとは、オスがメスに受け入れて貰えるまでの過程をキャラクター性を用いて表現した物なのではないかと思う。

 最後に要点をまとめておこう。僕曰く、

「ツンデレ女の子は情けない男の子がかっこよく見える様にするための使い易い 踏 み 台 である」

 そりゃ、人気にもなるだろう。ツンデレ女の子をうまく使えばかっこよくなれるんだから。

 ただし注意点はある。いざ、ツンデレ女の子にあったとき、性的役割を逆転させられるほど男の子が強くなれなかった場合。無残な人生が待っているであろう。

 以上がこの時点でのツンデレに関する考察である。自分で書いておいてなんなんだが、これものすごく水を差すよなー……。大抵、幻想の裏には泣きそうになるような話も転がっているものである。