八月一一日、木曜日の話
優しさについて考えた

 僕の行っている会社では、朝礼の時に「優しさ」について語ります。今回の話は、それとは全く関係ありません。

[◆]優しくするためには

 この日、家に帰ってくるとなんかアニメを妹がみていまして。「金色のガッシュ」というアニメなんですが、何やら主人公が「僕は優しい王様になるのだーー!!!」とか叫んでいました。それに対し、強敵が「王者に必要なのは強さのみだ!」とか言っているわけです。この後、主人公は仲間の力を得て五対一で敵をふっ飛ばしました。優しさどうのよりも数の暴力じゃないか。

 まあ、そういう野暮な事は忘れることにしまして。優しさを求める人が強さを求める人よりも強いと言うのは、別に正義がどうこうの話ではなく、普通に正しいと思います。なぜかというと、優しさは強くないと持てないからです。早い話。

 例えば、僕は今現在、企業実習で疲れており、また自分の時間も持てなくて人に優しくする余力はほとんどありません。自分に優しくするのが精一杯です。ここで、僕が精神的に強くなるか余暇時間を楽しみ切るだけの強さを持てば余裕が出て、人にも優しさを分ける事が出来るでしょう。つまり、優しさは周りの様々な悪要因を退けて余裕を持てるぐらいに強くないと持てないのです。

 テスト勉強をしている際、前持って勉強をしておいて余裕がある人は、他の人に知識を教える事が出来ます。しかし、テスト直前になって勉強し出した人はとてもじゃないですが他の人に物を教えている余裕はないでしょう。人に物を教えるためには余裕がないといけません。

 これと同じで、人に優しくしたかったら自分に余裕がないと話になりません。自己犠牲をして優しさを振り巻いている人はいますが、それは人によって世湯の度合いが違うことに起因すると思われます。三日間も何も食べていなくても、余裕がある人はいるものです。大抵は余裕がないと思いますけれど。

 最初の話に戻ると、主人公が「優しい王様」になるためには当然強くないと駄目なわけで、ただ強くなる事よりも高い目標であると言えます。テストで80点を目指す人と100点を目指す人の差のようなものです。100点を目指せば90点ぐらい取れるかもしれません。80点を目指している人が90点を取れるかどうかは微妙ですが。ちなみに、僕は中学生の時に試験で「100点を目指すー」と言っていたら「馬鹿かお前は。100点なんか取れるわけねーだろ。80点ぐらいを目指せばいーんだよ」と馬鹿にされた事があったりします。志の低い人でした。

 で、現在の話ですが、無駄を無くすことに追われている僕には余裕なんか持てるはずもなく、家に帰ったらセクト更新をしたいのにいつの間にか十一時を越えていて、明日の朝は六時半ごろにしか起きれないという酷い有様になっています。そろそろ、ズル休みするべきでしょうかね。

 とにかく、明日が過ぎれば休みです。思いっきり休んでセクト更新をしたいと思います。