八月 八日、月曜日の話
企業実習二週目突入

 やれやれ、順調に家を出る時間が“遅くなって”来ました。

[◆]慣れてきた

 六時に起きて六時半に朝食を食べ、七時に家を出て七時一二分発の電車に乗る。これが先週の僕の朝のスケジュールだったわけですが、実はこの一本後の二二分発の電車でも充分間に合うことが分かり、そっちを利用する事が多くなってきました。一〇分の違いは大きい。起きる時間が一〇分遅くてもいい訳で、家を出る時間が一〇分遅くてもいい。まあ、一〇分遅くなると間違いなく座れないわけですが。

 学校に入学した当時は緊張して早めに家を出たりするものですが、慣れてきるとチャイムが鳴った瞬間に教室に入るというような生活パターンになります。これは慣れ――新しい生活に最適化したことによる行動変化だと考えられますが、僕にもそれが起こったようです。そもそも僕は夜に活動するタイプの人間なので、朝の早起きは自分にとって辛いものです。その状況に慣れる事で自分の生活態度に折りをつけ、自分にあった生活パターンを編み出したのです。たかだか一〇分と侮ること無かれ。一〇分をたった六回過ごすだけで一時間、学校の試験時間に匹敵する時間が得られるのです。予備校や塾に通った人はセンター試験対策で五分単位の問題解答対策とか習いませんでした?

 とにかく、一〇分の猶予を得た僕は顔を洗うとか食事をゆっくり食べるとか有意義に使わずに布団の中でもぞもぞしてます。昨日もレベルアップがもうすぐだからと三〇分ほどROを延長して遊んでましたからねぇ。眠いんです。

 まあそれはそれ。とにかく遅刻しない様にしつつ会社に行くことにします。

[◆]思考のいらない時間は早く過ぎる

 今日もスケジュールに沿って総務部の一年間のスケジュールを社内ネットワークページのスケジュールポータルに書き込んでいました。会社って一年単位で動いてるんだなと感心しましたが、まあ、一年先まで見通せるものなんて税金納付か暖房器具の使用開始日だとか終了日だとか、お歳暮の荷造りだとかクリスマスの飾り付け(専門業者委託)だとかそれぐらいしかないようです。まあ、これはスケジュールの基幹にしか過ぎず、大体先一ヶ月ぐらいからそれぞれの社員に対して予定が入るようですが。お客様との兼ね合いもありますし。

 で、そんな作業をしている間に午前十時を過ぎ、午後一時を過ぎ、午後五時を過ぎては午後六時に退勤。早いものです。しかし、なんでこんなに時間が過ぎるのは早いんでしょうか? 「年取ったら時間は早く過ぎるもんだ」なんてよく聞きますが、年取ってない(と僕は思ってる)僕が時間が早く過ぎるように感じるのは、別に脳がぼけてきたからという理由で時間が早く感じるのではない事を物語っています(と、思います)。

 なぜ時間が早く過ぎる? ……思うに、仕事をしている最中って何も考えていないんですよ。与えられた事をこなす為に頭を回しているだけで、仕事中に宇宙の真理について考えている人は稀ですし、死者から見た生者の存在意義について思いをはせている人もいません。つまり、仕事中に“自分のために頭を使っている”人はほとんどいません。仕事のために頭を使っています。
 その利益は自分の精神的な思考の結晶ではなく、仕事をこなしましたという紙っぺら(最近は0と1のデータになってる事が多いが)をお金を出す人が見て銀行に入れるだけです。直接すぐに利益が出るものではなく、「お金、銀行に入れましたよね?」「ああ、入れてきたよー。後で確認しといてね」というような自分とは関係ないところで動くような利益なんです。
 それをどのように感じるかは人それぞれですが、仕事をしている最中に「仕事で得られるお金を使い、自分は何を求めているのか。それを求める事でどのような利益を得、その利益で自分の思考にどのような影響を出せるか」について真面目に考えている人は少ないと思います。時々温泉のイメージが湧いたり、浜辺で水着姿で男女で寄り添っているようなイメージが頭をよぎる程度だと思います。それらは一瞬で浮かんで一瞬で消え、頭は仕事に戻ります。仕事自体がメリットになる事は少なく、メリットは仕事によって出た給料から出ます。仕事は単なる作業でしかないのだから、仕事に情熱を燃やすことなく淡々とこなしていきます。それが、時間が早く過ぎるように感じる事の正体ではないかと思います。

 ……やっぱあれだよ、人生を楽しむコツは、無駄を大量に生産しまくってそこから何かを生み出すことだよ。自分が楽しいと思える事をすることが、人生を長く感じるためのコツなのではないかな、と思います。なんてぇ〜の、スケジュール管理された生活は不完全燃焼の元のような。

 まあ、結局のところ、僕はまだ若いって事なんでしょうね。無駄な事を楽しむ余裕がある限り。