六月一五日、水曜日の話 [◆]自由の代償についての理解
少し考えれば当たり前の話で、僕が自由を謳歌するためには誰かが僕が自由にしているための代償を支払わなくてはならない。例えば、とあるだだっぴろい平原に一人の人が住んでいるとする。しかしその人は自由ではない。まずは生きる為の労働をしなくてはならない。衣食住が満ち足りてこそ、ようやくその人はその労働の余剰として自由な時間を満喫できるのである。しかし、自由は有限であり、衣食住に欠損が出ればそれを補うための労働をしなくてはならない。この場合、その人が自由にするために、自由の代償を支払っているのはその人自身である。 僕の場合を考えると、解りやすいのがオンラインゲームで遊んでいるときである。オンラインゲームで遊んでいるときは僕は自由だ。自分の好きなように遊んでいられる。しかし、この自由な時間の代償を支払っているのは僕ではない。それは夕食を作っているお母さんであり、オンラインゲームのお金を持ってきてくれているお父さんである。 自由はそれだけでは成り立たないものであると考える。もしも不可能なことだが自由に遊ぶことのみしていたとすると、先に待つのは飢え死にである。自由ではない、何かに拘束された時間があるからこそ、何とかやって行けているのである。 [◆]自分の世界とは椅子である
本日は二個続けての思想面の話であるが御容赦いただきたい。 最近では聞かなくなったが、その昔は「自分探しの旅」というものが流行っていた。これはおそろく、自分という存在が今まで存在しなかった場所、つまり自分のために用意された環境のない場所に出ていき、ただ残ったむき出しの自分を見定めるものなのだろう。自分に合った環境でない場所に存在する自分が、本当の自分である。 さて、僕は自分探しの旅などというのはしていないが、確たる意識の元に自分を持ち、自分を知っている。これは自分探しの旅という、“外的要因”による刺激から自分を削りだす過程を経ているものではなく、自分の世界を作り出すという“内的要因”の過程を歩んでいる。“外的要因過程”と“内的要因過程”で作られた“自分”にどのような違いがあるのかは考えていないが、どちらにしろ、自分という概念は確立するのだから問題ないだろう。この研究は未来の自分に譲る事にする。 さてここで、形作られた“自分”が何のために作れたのか、という事なのであるが……僕は単純に楽をするためであると考える。自分作りとは自分が楽をするためのメカニズムである。ある種の刺激を受けたら固定の反応を返す。一万円札が道端に落ちていたら、ほっとくのか自分の財布にしまうのか警察に届けるのか、はたまたゴミ箱に捨てるのか燃やすのか紙飛行機を作るのか。“自分”の数だけ道があり、“自分”の数だけ世界がある。そして、その世界は自分の形に協和している。そして、その行動は“自分”にとって最も心地のいい物であるはずである。 ゆえに、僕は自分作りを椅子作りであると理解した。自分がそこに楽をして存在するための、自分の形にあった椅子である。人によっては机かもしれないし、ベッドかもしれない。椅子一つにしても木製、金属性、ソファーかもしれないしドラム缶かも知れない。色様々。立っているままじゃ辛いから、楽をするために座ってる。そこは、自分のための環境であり、世界なのである。 [◆]日記に書いていい事悪い事
うーむ、本日、とある人からこのセクトで公開している日記について感想を頂いた。その人によればちょっと自分に関する話が出ていて面白恥ずかしかったらしい。引っかかったのは「この日記を数千人の人が……」ということらしい。僕のセクトは別段、何処かに宣伝しているわけでもないし、カウンターの数字はもうすぐ九〇〇〇に届こうかという感じではあるが、その大半はリピーターであると思われるので言うほど話のネタにはなっていないはずである。まあ、僕の身内の人には誰の話か判ると思うけれど、身内以外には「ヘー(´ν_.` )ソウナンダ」が関の山だと思います。 それはさておき、別に見ている人が少ないからとか言うのに関係なく、やはり体面というのはあるだろう。僕にだからこそ見せられる姿というものがあり、それは普通、公開されていい気持ちのするものじゃないだろうと思う。うーむ、この辺りは僕にはよく判らない心境なので、気に止めてなかったのであるが……。いやはや、すみません。 外部には公開しない内部日記を書いたほうがいいのかも知れませんねぇ。内部日記は公開できませんが、公開できない情報を書く事が出来ますしねぇ……( ・∇・)ウフフフフ 僕は聖人君子ではない、という事だけを書いておきます。 [◆]社会人の言い訳?
本日はスチューデントアシスタントとしての仕事が入っていまして、午後六時、つまり第二部(夜間部)の講義があるわけです。第二部のアルバイト、ちょっと割高でお得な感じです。 で、今日の講義の時間が終わったのですが、学生さんがみんな帰ったあとにもパソコンに組みついて先生に教えを請う人が一人。すでに社会に出ておられる女性の方です。で、その人が「何々の操作について教えて欲しい」と尋ねてきたので教えようとしたのですがね……「私初心者で何をしたらいいのか解らないんですよっ」と口早に言ってマウスをかちゃかちゃ動かしてクリック連打しまくっているわけです。ですから、「落ち着いてください(ゆっくりやればいいんです)」と言ったら「でもよく分からなくてっ!」カチャカチャ。いやー、分からないから講義受けに来ているんでしょ……という言葉を飲み込み、とりあえずその人のワード文章を見て目に付いた変な操作(文字列を揃えるために改行しまくりとか)を指摘したら、「私初心者で何をしたらいいのか解らないんですよっ」と口早に……。 ごめ……力量不足を痛感いたしました。パソコンに関する知識があっても話を聞いてくれない人とのコミュニケーションスキルが足りていません。で、そこで助け舟を出してくれた先生にお任せして、僕はいつもどおりシャットダウンされていないパソコンのシャットダウンやらゴミの処理やら業務報告やらをしていたわけですが。 んー、先生、さすが年上の貫禄といいますか、話をさえぎる声を出す人相手にちゃんと説明しています。人生経験の差なんだなぁ、これが。……よく考えると、その教えを請うてきた人、僕より年上なんですね(^▽^;) 三〇分延長してその人も帰り、僕もやっとこさ帰路につく事が出来ました。家に帰る頃には十時回ってます……。 |
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