五月二六日、木曜日の話
僕は怪物か?

 命の尊さが解らないと、怪物になるらしい。

[◆]命の尊さ?

 本日の日記には人によっては大変不愉快な内容が含まれています。また、大変不完全で不安定なものになっています。読む前に御了承ください。

 新聞を読んでいたら奈良女子殺害事件の犯人の供述についての記事が載っていて、面白いことが書いてあった。曰く、「命の尊さが解らない」。そりゃ、命が尊いものだと思ってたら誘拐したことが発覚するから程度で風呂に沈めて殺さんだろう。まあ、すでに誘拐やっている時点で発覚するしないを問題にしている時点で、頭の弱さが露呈しているわけですが。

 それはさておき、「命の尊さが解らない」という供述は、文面だけを見れば僕も大いに共感するところです。僕には「命の尊さ」は解りません。友人の尊さなら解るのですが。この辺の話になると、指し示している「命」とは人間全般のことを指すのか、身の回りにいる存在の事を指すのか、気に掛けている命のことを指すのかが曖昧(あいまい)ですけれど。

 まあ、その辺りは棚に上げておいて、「まあとりあえず命があるもの」の事を指すとした場合、「命が尊い」と考えると命あるものすべてを尊いと考えなくてはならない。犯人の言う命がこのあたりの事を指しているのか不明瞭ですが、もしもそうだとしたら「命の尊さが解らない」のも解る気がします。
 と、いうのは、僕は確かに“自分にとって”尊い命は存在します。しかし、必要のない命も当然、存在するわけで。一人の人間の命よりも一匹の猫の命の方が重いです。ぶっちゃけ、僕にとっては東北の県の人が三〇〇人ほど死んだとしても差たる問題は出ないわけで。顔も知らない人たちに大変失礼ですが、顔も知らない人たちはほぼ、数字だけの存在で僕にとってはいてもいなくてもいい存在です。それは向こうの人たちにとっても同様で、彼らにとって僕が生きていても死んでいても差たる問題はないでしょう。
 まあ今のところ、僕は不愉快なことを書いている人間に過ぎないわけです。

 で、「犯人は命の尊さが解らないと言っているそうだけれど、僕にも命の尊さって解らないなぁ」ということをお母さんに言ったんですよ。世の中の常識を振り回すお母さんにこの発言は聞き逃せないものです。「じゃあ、おじいちゃんやおばあちゃんが死んだら、あんた悲しくないの?」 そう言われても、いつかは死ぬんだし。五年後か明日かは知らないけれど、生きている以上、死ぬリスクを背負っていて当然。それが解っているのに悲しむなんて、エネルギーの無駄遣いだろ……。  「お母さんやお父さんが死んだら、大学どうするの?」とはまた愚問だなぁ。んなもん大学辞めてアルバイトなり就職なりするに決まってるだろうが。所詮、大学って言うのは学業資格を取るためのものであり、しかし内容はぶっちゃけ娯楽! 行かなくても人間生きていけます。むしろ、その質問は人の命=金という公式の元に成立しているように思えますが?(お母さんやお父さん(の給料)が無くなったら、大学(の授業料)はどうするの?)

 まあ、お母さんは具体例から攻めてきましたが、身内のことはある程度把握できているのでどうとも……。せめて「もしもあんたの恋人が死んだら」と個人的感情に訴えないとだめぽ。まあ、そうなると一番最初に言っていた「命」とまた意味が変わってきてしまうのですが。
 それはともかく、なんで「命は尊い」と思えないのか。僕の答えとしては、「必要のない存在は多いし、必要ある存在でもいつかは代わりが出てくるから」がわかりやすい答えかと。最初に思いついた考えは「だって誰も命の尊さについて考えてないじゃん。教えてくれたこともないし」だったわけですが。
 もち、“僕のことを知っている必要な人間”というのには代わりは存在しません。埋めることは出来るかもしれませんが。自分でもずいぶんと冷徹な考えをしているな、と思うのですが、現実がそうなんだから仕方ない。“僕が生きている以上”、世界は動いていくわけで。「命が尊い」という考えに本気で縛られていたら間違いなくつぶれます。僕は。
 と、言うよりは、“死んだ存在に思いをはせていても意味がない”が正解かもしれない。難しいですね〜。もう哲学の道に入ってますね。

 最後に付け加えておくと、「尊くない命は消してもいい」というわけでは決してないので誤解なきように。人類が滅びたら地球も安泰だろうなぁとは思いますが、やっぱ寂しいですもんね。



 と、言うことをつらつら言っていたら、「命の尊さも解らないなんて……お母さんは怪物を育ててしまったんやろか……」と来ました。命の尊さが解らないということを言っただけで怪物扱いとは、また短絡思考だな。もうちょっと頭を働かせてくれないと尊いとも思えない。まあ、子供は親を超えるもんです、と自己完結しておくことにして、僕は食堂を去ったのでした。

 ……落ち着いて考えてみると、ただ単に人間の命を害虫並みにしか扱っていないだけかもしれません。僕の命の価値は僕には判断しかねるので他の人に任せます。