五月一三日、金曜日の話
巷に溢れてるライトノベルについて

 久しぶりに電撃hpを買い、ほとんど読み尽くしました。

[◆]最近のライトノベルの男女比

 僕は中学生の頃からライトノベル、いわゆるジュニア向け小説と呼ばれる小説を読んできているが、昔と今とでは、ライトノベルの中身に大きな違いがあると思う。その違いはずばり、『萌え』といわれる概念のあるなしである。

 まずは『萌え』とは何かに付いて説明せねばなるまい。その発祥は日本のオタク界である。言葉が生まれたのは有名な巨大掲示板、2ちゃんねる。燃えるを萌えると誤変換したのがきっかけだったらしい。その概念に関してはオタク界の中でいまなお議論が交わされて、決着はついていない。まあおおよその方向としては、女の子に対して『可愛い』+『些少の性欲』という感じだそうだ。ゆえに、萌えると言ったらその対象にはロリ系が来る事が多い。大抵は高校生までだろう。萌えと言っても、外見萌えと内面萌えの二種類がある事を追記しておく。

 さてライトノベルであるが、この萌えを組みこもうとした結果なのか、登場人物は圧倒的に女の子が多い。べたなのになると、ものすごく情けない男の子に色々な性格の女の子が五人、言い寄ってくるとか。
 僕はこういうのは好きではない。つーか、なんでこんなに女の子ばかりで、男はこんなに情けないのか。なんとなく、ほとんどのライトノベルがこの方向に向いていて辟易してくる。

 で、僕がそういうライトノベルを好きではないのは、単純に「男が情けなく、少ないから」と思っていた。せめて男女比を5:5にして欲しいものである。今もその気持ちは変わらないが、電撃hpを読んでいてふと気がついた。このライトノベル群は、ある存在を強烈に意識していることに。
 ライトノベルに出てくる登場人物。それは主人公の男、多数の女の子、その他の人物、そして最重要、“男の読者”である。おそらく、萌えをあるがままに受け止めている人には常識的な事なのかも知れないが、僕はこれに気がつかなかった。萌えはライトノベルなどの中だけで完結せず、読者を巻き込んでいる。僕はこれが嫌なのだ。

 僕が小説を書いていた事があるのは、このページに来ていただいている方なら御存知だと思う。僕は、小説を書く段階に当たって読者を意識するような事はしない。分かりにくいところは分かりやすくしようとはするが、それ以上の事をすれば僕の世界が崩れる。製作段階からシナリオ等に無用の読者の意見、意思が挟まってはやる気がでない。

 最初から、萌えとは小説の主人公だけが受け取ればいいものではなく、現実世界の人間が受け取らなくては意味がないものである。作家はそのニーズを受け取って小説を作り、読者は小説の中に自分を作り、萌えを感受する。感受できればいいが、出来ないと不快である。僕は後者だ。萌え狙いの小説は、肝心の萌えが外れると駄文に成り下がる。そういうことである。萌えが当たれば人気は出るだろう。

 ……で、結局何が言いたいかというとですね……面白いライトノベル、最近少ないなぁと……。_| ̄|○